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僕のセカイにおける正義とは

If you get in my way, you are dead.

正義のヒーローと聞いて思い描く姿は人によって様々あると思いますが、多くの人は善を勧め悪を懲らす正しさの体現者を思い浮かべるのではないでしょうか。初めに伝えておきます。その姿をヒーローと呼ぶ連中は帰ってくれ。少し過激な思想を書き記す恐れがあるので注意してお読みいただきたい。

Stay in the lines, don't make a scene

正義を辞書やインターネットで調べると

このように定義されており、あたかも人間のあるべき姿として書かれている。いや、実に素晴らしい人生なのではないか?人としてあるべき姿、道理という最も曖昧で不確かなそれを追い求めることも。どこかで聞いた話だが震災などが起きた際に命を落とす人間のなかには緊急時だと皆に知らせるために奔走し逃げ遅れる「他愛行動」をとる人間もいるらしい。
私はそこに一石を投じたい。人として、大衆として、世間の言う間違ったことをせずに輪を乱さぬように生きることを教わるが、本当にそれを盲信していいのかと。
私の思う人間の正しさを次の章でお話しよう。

Heroes try to tell us what's right

さて、単刀直入にお話しよう。私の思う人間の正しさとは「自分の大切なものを守ること」ではないだろうか。人が何千万、何億、何十億と飽和したこのセカイに万人受けする正義など最早存在などしない。誰かに正義を説けば相反する思想の持ち主がそれは悪だとケチをつけ、そこにまた違う誰かが油を注ぐ、そんな時代だ。ならばいっそ己の価値観を信じきってみるのも人生として一興ではないだろうか。信じるものはなんでもいい、愛、金、知識、健康…etc. 述べ始めれば限りなく存在するはずだ。しかし多くの人は自分の信じる道をまだ見つけてないように思う。嘆かわしいことだ。

I'm gonna be the anti-hero

世の中の正義とやらが自己の自由な思想を殺し生きることを強いるのなら、私はその正義を悪と謳い、正義に反する「ANTI-HERO」だ。
私の中の正義は私が決める。守りたいものを守る時にルールや法律などなんの意味を為すというのか。
自分が他人の評価を勝手にするように、他人も私を勝手に評価していると思うが、そんなものの点数稼ぎのために人生を捧げて歩むなど、私には到底できそうにない。誰かに優しくすることで他人の目に良く映ろうとする社会の囚人は永久に人に優しい自分に酔いしれているといいさ。ご苦労様。

一つご注意いただきたいことがある。これは私の人生哲学を述べているのであり、皆にそれを強要もしないしおすすめも一切しない。自分の正義を掲げて恐れず歩むそれぞれの人生の姿が「HERO」なのだ。

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