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色音痴

 いまにして思うと、僕は自分で何をして生きていきたいかを、なんとなくではありましたが、わりと早くに決めていたほうだと思います。家の中にこもって絵を描くのが何よりも好きだったので、絵描きか漫画家になりたいと思っていました。その後いろいろあって、美術大学というところに入ろうと決心するにいたりました。(そのあたりのいきさつはまた後日ここでお話しできればと思います)しかし、それには実技試験に通らなければならないということがわかり、僕は高校3年になってから(受験対策のスタートとしてはものすごく遅いほうでした)須磨海岸の近くにあった小さな美術研究所に通いはじめました。

 少し話は遡りますが、小学生の頃、僕は色のことがよく分からず、とにかく感覚だけで絵を描いていました。線を描くことが一番楽しかったので、色を塗る段階になると急に難しく感じたような気がします。1年生のときの担任の先生は、僕の絵を評して「独特の色づかい」と形容してくださいました。しかし、これは歌の世界に「音痴」があるように、はっきり言って「色音痴」だったのだろうと思います。僕の絵は、何を描いても彩度の低い澱んだ色彩になってしまい、それはどういう画材で描こうと決して抜けない癖のようになってしまっていました。

 美大の実技試験の内容はいろいろとあるのですが、そのうちのひとつに「色彩構成」というものがありました。これは、たとえば「四季」というお題を与えられたとしたら、それにふさわしい感覚の色面で構成された画面を、ポスターカラーや色鉛筆などの画材で表現するというものでした。僕は一度忘れていた自分の色音痴をここでまた嫌というほど思い知らされることになるのでした。

関係ない話のようですが、この話よりももう何年か前に、僕はギターという楽器に惹かれて、初心者用の教則本などを頼りに独学で練習を始めていました。二つ以上の音を鳴らすと「和音」になる、という単純なことが楽しくて仕方がなかったことをよく覚えています。和音というのは西洋音楽の体系の中では一定の秩序を備えた「関係性」を組み立てるということなのですが、ここに大きな示唆がありました。

この全く違う位相にあるように思えていた二つの活動は現在とても近いところにあると感じています。自分の中でその二つを分けていることの不自然さに気づき、「表現の手法として区別をしない」というふうに考え始めたからです。「手色形楽」の話の中でおいおい出てくると思うのですが、「音楽」形式という体系と、造形を考えるうえでの結びつきは、「色音痴」を変えていく一つの大きな契機になっているのです。

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