月の姿を伝えたくなる人がいるということ
綺麗な月を見ると、思わず誰かに伝えたくなるのはなぜだろう。
まんまるの満月、くっきりと見えた三日月、あたりの雲を羽衣のようにまとった幻想的な月、手が届きそうなくらい低いところにある大きな月。
月はいつもそこにあり、普段は気にも留めていなかったりするくせに、ふと夜空を見上げて月が綺麗だと、人は誰かにそれを伝えたくなる。
その誰かは、美味しいものを食べた時に「一緒に食べたいな」と思い浮かべる人だったり、かつて一緒に月を見上げた人だったり、月の力を借りてなんらかのやり取りをする勇気が欲しい相手だったりする。
もしかすると、月はそんな私たちの行動を知っていて、時々はっと息を呑むような美しさでその姿を見せてくれるのかもしれない。
なんて、そんな人間の都合でそうなるわけはないのだけれど。
そもそも人は「月」以外でも、よく天気や空模様の話を共有するのが好きだ。
「見て、この雲の形、〇〇みたいじゃない?」
「今すごい大きい虹がかかってる!」
「夕焼けで空が真っ赤〜!」
「こっちは今大雨で、道が池みたいになってるよ」
誰にでも同じように広がっている空だからこそ、自分のところはこうだよと、遠く離れた場所に住む違う空を見ている相手や、同じ景色が共有できる近くの相手にそれを伝えたくなるのかもしれない。
その中でもやっぱり「月」は特別だと思うのだ。
凛とした月、妙に妖艶な月、あたりを明るく照らす神々しい月、切ない気持ちを運んでくるような儚げな月。
月は色々な表情を持ちながら、いつもそこにいる。
そして私たちは、そんな月を見て何かを思い、誰かを想う。
だから、夏目漱石も愛の言葉の和訳に「月」を選んだのかもしれない。
「ねぇ。いま何してる?外、見てみて。月がすごく綺麗。」
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