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私の手から離れていく「私の言葉」を手元に残してみよう。


友人に誕生日のプレゼントを送った。
私には、毎年プレゼントを贈り合う人がいる。
日本のどこにいようと、海外にいようと変わらず続けている恒例の「お誕生便」だ。


いつも、彼女が好きなんじゃないかなと思うようなものと一緒に手紙を添えて送るのだが、今年私はふと思い立ち、初めて自分の送る手紙を携帯で撮影し保存した。

これ、もしかしたら20〜30年後、いやもっと後に見たら、すごく"いい"のではないかと思って。


今までの人生の中で、私は色々な人に色々な手紙を書いてきた。
中高生の頃は、授業中によく紙切れに手紙を書いては何通も友達とくだらないやり取りを交わした。
今でもいくつか自分の手元にそれが残っている。


そしてつい先日、それをふと眺めていた私は、懐かしさと同時に疑問が浮かんだ。「これ、私は一体何のことを書いていたんだろう?」と。

「先週のやつ、どうなったかわかったら教えてね!」とか、「あれ、先輩にも聞こえたかな?」とか。
手紙にはそんなことが書かれている。

その時は「そうそう、あれね...」とすぐに返事を書いて送り返していたはずなのに、もう今となっては”先週のやつ"がなんなのかも、そしてそれがどうなったかも、どの先輩に何を聞かれたかと気にしていたのかも、さっぱり覚えていない。

日々の他愛のないやり取り。
手紙を交わす相手とのささやかな日常の断片。


それを見て、内容が思い出せなかったことに私はちょっと寂しいようなもったいないような気持ちになったのだ。
だから私は、このこれからも続くであろう友人とのプレゼントに添える手紙を記録することにした。

これを読み返したら、去年は何を贈ったのか、その時はどんな話題を話していて自分が何を思って手紙を綴っていたのかが思い出せる。
大切に書いた気持ちでも、残念ながら人はどんどん忘れていってしまうものだ。
その瞬間だからこそ楽しかったり、読み返してしまうと恥ずかしくなってしまうような気もしたが、きっとこれは10年、20年、30年と残し続けていったら自分にとって宝物になるのではなんて思ったのだ。
もちろん、もらった手紙は手元にある。これも宝物だ。
だからこそ、私が彼女に送った言葉もきっと、自分にとって大切なものだ。


今まで、さらさらと書いたりしみじみ書いたりして私の手から離れていった自分の言葉たちに、ちょっともったいないことをしてたなぁなんて思いながら、私はこれから、自分の言葉を集めてみることにした。

10年ごとに定期的に楽しむでもいいし、いつかおばあちゃんくらいになったらそれをずらっと並べてみて、願わくば彼女と一緒に、彼女にもらった手紙と共に眺めてみたい。

「あ〜、なつかしいね。この頃コロナってすごい流行ってたよねぇ。このあたりの手紙は会えないと会いたいばっかり書いてるね。」

「ほんどだねぇ。会えるようになって本当によかった。これからもよろしくね。」

なんて言いながら、お互いシワシワになってるかもしれない手で握手を交わしたい。そんな未来を想像する。

私たちはその頃どこに住んでいるのだろう。
近いかもしれないし、遠いかもしれない。
でも、これまで通りお互いが暮らしやすいところに住んで、1年に1〜2回くらいはお互いの街を訪れたり、まだ見たことのない場所に一緒に旅行に行ったりできたらいいなと思う。
彼女と手紙を一緒に眺める日がすごく楽しみだ。


お誕生日、おめでとう。
生まれてきてくれて、私と友達になってくれて、ありがとう。
これからもよろしくね。

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