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正しい写真と、良い写真の違い


写真を撮るとき、水平は意識していますか?
写真を撮ったあと、トリミングはしますか?

写真を始めた時、正確には始める少し前。
なんとなく洒落た写真が撮りたくて、なんとなくカメラを傾けて撮るようになりました。
同じ経験したことがある方、結構いるのではないでしょうか。

それが写真に詳しくなればなるほど、傾けることをしなくなりました。

どうして始めたのか?どうしてやらなくなったのか?
それはきっと写真はこう撮った方がいいと学ぶようになったから。

今回はそんな写真の正しさについて考えてみようと思います。


上手くなりたくて、正解を探し始める


初めて一眼レフを買った時。
ピントを”合わせる”という概念が生まれ、傾ける余裕なんてなく
真ん中にドンと置いて撮るように。

半押しでピントを合わせながらズラせることを知った時。
見様見真似でそれっぽく、構図を意識しながら撮るように。

構図に詳しくなり、Raw現像も行うようになった時。
色や明るさを調整するようになったら、さらに水平も構図も細かく追求するように。

こんな風に一つ一つ知り、写真の”正しさ”を考えるようになっていった記憶があります。

悪いことでは全くなく、実際"こうした方がいい"というある種の正解を重ねるほどに写真は上手くなります。

守破離で言えばひたすら守をちゃんとやっていた感じでしょうか。

ですが、気が付けば

写真とはこうあるべきみたいな感覚に囚われていて。

写真の良し悪しの基準が、正しいかどうかだけだったんですよね。

正しいとされていても、それはあくまでいちジャンルにおけるセオリーのひとつだけだったりするのですが、何もないスポンジ状態の人間にはそれが絶対ルールとして君臨していました。

写真における、正しさとは?


鉄道写真、いわゆる撮り鉄の写真はこの”正しい写真”の究極系だそうです。
きちんと電車の顔が写っているか、車体は圧縮され画角内に綺麗に収まっているか。
撮り方に明確な正解があり、それをより高い水準で満たすことが”良い写真”とされる。
だから皆固まって同じ場所から撮るんだとか。

ただ、多くの写真表現ではボタンを押すだけで簡単に撮れてしまうからこそ
構図や光のアイデアに個性がある方が良しとされることも多いですよね。

だから、普段個性や独創性を意識している人たちからは鉄道写真でみんなが同じ場所に集まって撮ることが批判されたり。

鉄道写真は一例ですが、同じ写真という観点でも人や界隈によって"主義主張=自分の思う正しさ"が異なっていて噛み合わないことが多いように思います。

だから喧嘩しがち

今まさにthreadsでは
profotoじゃないと仕事にならない派 vs godoxで一流の仕事してる人いる派の議論がされています。
良い機材じゃないとダメ派 vs 写真は機材じゃなく腕派なんて定番。
ポートレートの中だけで見ても、少し前にポートレートに広角レンズはありか?無しか?の話なんかもありました。

SNSは断定調の方が伸びやすい傾向があるそうなのでそこも要因の一つですが、”写真界隈はいつも喧嘩してる”と言われるのは同じ写真のくくりでも正解が無数にあり、相反するケースもあるからかなと。

側から見ていると「いや、状況によるやろ」と言いたくなるんですが
否定されているのが自分にとって大切なこだわりだったりすると物申したくなりますよね。

正しい=良い写真?

上手い写真と良い写真


写真を始めてから数年経ち、自分の目指す世界においては

正しい=良い写真ではない

ということが分かってからはさらに写真が難しくなりました。

それは明確な正解がなく、自己評価と他人の評価の狭間で”良い”を見つける必要があるから。

また極端な話、いわゆるセオリーから外れていても"良い"と鑑賞者を唸らせるパワーが写真にあればそれで良かったりもします。

以前、とある著名な雑誌の編集長に写真を見ていただいた時

”上手に綺麗に撮れるのは分かるんだけどね”

とポツリと言われたことがあります。

刺さりました。

オブラートに包んでくれてますが、要は良い写真じゃないって話です。
「技術を磨いてきたのは分かるけど、突き抜けるパワーが無い、撮りたいものに対する熱量が足りない、惹かれるものが無い」ということ。
とても悔しかったけれど、自覚していた部分でもあったので言い返すこともできず、思わず「いやー、そうですよね」と苦笑い。

私は写真が好きで好きでたまらなくて写真家になったわけではありません。仕事での撮影が先にあり、本格的に撮り続けることになって行きました。

だから最初の頃は仕事の写真以外に撮りたいものが無く、自分が撮りたい写真とは?を常に模索し続けていて、見つからないから、正しく上手い写真を逃げ道に勉強していました。
まさにコンプレックスだったところを見抜かれたんですよね。

"上手い"とは土俵が違う、”良い”写真


一方で、これは間違いなく”良い写真だ”と言い切れる自分の作品があります。

それは、2023年のAPA awardで準グランプリをいただいたこの写真。

この年、というかAPA awardはほとんどの受賞作品が8枚の組写真。

ステートメントの提出ができないので、

・募集される時のテーマ
・作品
・作品タイトル

だけで審査されることになります。
そのため、写真を組むことによってテーマや主張を表現できている人が多く受賞している印象でした。

この時の募集テーマは「私の写真」です。

一見普遍的ですが、このテーマを見たときに私は以前に撮影していたこの写真を思い出しました。
なぜこの写真を思い出したのかは分からなかったのですが、せっかくなら出してみようとステートメントを考えていく中でその秘密が分かります。

それは、この1枚が明確に”私”が写った写真だったから。

真ん中の女の子の目線は完全にカメラ目線。
カメラ目線の写真はポートレートなんかだとカメラマンの存在を感じさせる写真だと言われます。
是非はあるかもしれませんが、声をかけて撮った写真ではないので
私の存在を認知させようとしていないのに、結果的に私の存在が認知され、それが写っていたという写真でした。

そこから、"Self-awareness" (自己認識) と名付け
タイトル、作品、テーマの関連性を読み取っていただいたのかなと。

受賞式の時、審査員のお一人だった舞山秀一さんから

「テーマとの繋がりも素晴らしいけど、何より審査員全員がみんな笑顔でこの写真の話をしていたよ。グランプリと本当に迷いました、おめでとう。」

とお言葉をいただきました。

作品自体は偶然性も高く、構図もシンプルな日の丸構図。
”正解”を1ミリも意識せずに撮影した写真です。

柔らかい斜光、子供が真ん中の子以外誰もカメラを見ていないことや配置など結果的に整っている部分もありますが
舞山さんの言葉と、受賞の結果は自分がなんとなく"良い"と感じていた写真の力を裏付ける結果になりました。

言語化できるから良いと言えることもあるし、うまく言葉にできないほどの良い写真もある。でも良いものは良い、って感じですかね…。

撮りたいのは上手い写真か、良い写真か


私が撮りたいのは、”良い写真”です。
こう思うようになったのは、写真が仕事になったからかもしれません。

最初は間違いなく、上手い写真が撮りたかった。
趣味で風景を撮っていた頃は、上手くなりたいとずっと思っていました。
たくさんの本を読んで、セミナーに参加して、たくさん撮りに行って。
日毎に上手くなっていくことが写真を楽しむことに直結していました。


でも写真を仕事や作家の世界から見ると、上手いのは当たり前です。

「やっと子供らしい絵が描けるようになった」

と、14歳の頃には誰よりも写実的な絵が上手かったピカソが言ったように、技術の先に表現として求めるものや優れたものがあり、それは上手さとはまた別の世界、次元になっていく。

良い写真はどう撮るか


今は偶然性や視覚的な美しさ、ステートメント、ドキュメンタリー性やコミカルさなどが揃った方向性に対して高次元にまとまっていることが”良い写真”の条件かなと思っています。

が、分からん!というのが本音。

アートの世界に踏み入ってから驚いたことの1つが
ある意味、本当に芸術は高尚なものであるということ。

どういうことかと言うと、写真に限らず芸術を鑑賞しようとすると関連する文化や時代背景、流行の変遷などを知っていた方が抜群に楽しめるし、見え方もまるっきり変わってきます。

子供の頃面白くなかった寺社仏閣観光が、大人になると風情を感じるのも、時代背景を知ったことや現代の日常で重ねた経験があるから。

つまらないと感じていた作品が、とある背景を知ると途端に面白く、素晴らしく見えてくる。鑑賞者側の知識や環境に依存する一面があるということですね。

しかしこういった背景があるからこそ面白い、良い作品もあれば
そんなのはないけどとにかく良い、という作品もある。

じゃあどうすればいいか?
なんて最早自分と向き合って、世界と向き合って、時代と向き合って、
自分なりに導き出していくしかない。

難しいですね。

いざこの世界に入ってみると奥が深過ぎて、混沌としていて、どうすれば良いのかを模索し続ける日々ではありますが

少なくとも自分の写真は良い写真だと常に自信を持っていられるよう、研鑽を続けて行きたいなと思います。


元々水平とトリミングからこの記事書こうとしたのですが、かなり脱線しました!
ということで水平とトリミングにフォーカスを当てた、正しい写真と良い写真の話を次回はまとめていこうと思います。


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