王様の剣はなぜ無名なのか

(筆者はアーサー王伝説の一連の作品は全くの未読です。ご了承を。また本記事に王様の剣、シンデレラ、その他ディズニー作品を貶める意図は全くありません。)

王様の剣とは

 イギリス中世を舞台とする物語、アーサー王伝説の主人公のアーサー王の少年時代を題材としたディズニー映画作品である。

 王様が不在の中、力による争いによって荒れていく国。そんな中、国に突如石の台座に刺さった剣が現れる。剣には「この台座から剣を引き抜いた者こそ真の王だ」との旨が。そこで、多くの力自慢たちが剣を引き抜きに集まったが、成功するものは現れず、次第に王様の剣の伝説は忘れられていった。

 その国の森の中で、魔法使いのマーリンが言葉を話すフクロウのアルキメデスと暮らしていた。未来を見通す力を持ったマーリンは荒れ果てた国を嘆きながらもある人物を教え導くその時を待っていた。

 マーリンが待つ者の名前はワート。孤児であり、ある城で召使いとして働いている。マーリン曰く、彼は「何事にも真剣に取り組み、身も心もぶつけていく。」だから、マーリンはワートが道を外さないよう、正しい方向に導くために困難を力でなく知恵を使って切り抜けていく術を教育していく。

 ワートが働く城に半ば強引に移り住んだマーリンは、彼の仕事の合間に持ち前の魔法と知恵を使った教育を始める。

登場人物

ワート
ある城に住み込みで働く孤児の少年。本当の名前はアーサー。後に王様の剣を引き抜くことで王となる人物だが、痩せ細った見た目や自信のない控えめな性格から、周囲や自身からの評価は低い。彼の本質を見抜いたマーリンから、知恵によって困難を切り抜けるための教育を受ける。

マーリン
森の中に住む魔法使い。未来を見通す力を持っており、武力が支配する時代に暮らしながらも、知識と頭を働かせて生き抜くことを信条としている。普段は陽気で朗らかな性格だが自分のペースを乱されたり、考えを否定されると途端に機嫌が悪くなる。

アルキメデス
マーリンと共に暮らす言葉を話すフクロウ。偏屈な性格でマーリンの未来の話や教育方針に対して半信半疑であり、ワートに対しても無愛想だったが、次第に心を開いていき最後までワートに寄りそう。

王様の剣の個人的解釈

 困難を切り開くための力は、武力ではなく知力である。
 舞台は君主の不在による混乱と暴力による支配が蔓延する国。そんな中、頭、つまり知恵を使うことの重要性を信じて止まないマーリンが見守るのは少年ワート。何事にも真摯に取り組むワートは、その控えめな性格も相まって誰かに利用されて一度道を踏み間違えたら取り返しのつかないことになるかもしれないとマーリンは考える。
 武力の時代に生まれ、戦いの手段を学ぶことが勉強だと考えているワートに対して、マーリンは魔法を使って動物の暮らしを体験させることで教育を進める。
 魚になり、自分より大きなものから身を守る術を教える。リスになり、力だけでは逆らうことができない自然の摂理があることを教える。鳥になり、興味関心を通して学びに繋げることを教える。
 そんな教育の最中、ワートは魔法使い達の戦いに巻き込まれていく。戦うのは、マーリンとそのライバルの魔女マダム・ミム。魔法を使い、周囲を恐怖に陥れることを喜びとする彼女は、魔法を、人を導く助けとするマーリンとは対になる存在である。
 2人は魔法を使った動物変身合戦で知恵比べをする。自ら定めたルールを破りながら、力によってマーリンをねじ伏せようとするするマダムに対して激昂するワートだったが、マーリンは冷静に対応する。病原体に変身し、マダムを病気にすることで戦闘不能な状態にして戦いを終えるのだ。
 マーリンは、自らの戦いさえも、「知識や知恵で暴力に対応する」という教えの場に変えたのである。
 王様の剣とマーリンは、混乱の最中にあり、圧倒的力の前に挫けそうな時にも、知恵を働かせれば切り返すことができるということを学ばせてくれる作品だと言える。

本題

 素晴らしい教えを与えてくれる王様の剣だが、日本での知名度はディズニー作品の中でも群を抜いて低いと思われる。この作品に足りない点はなにか、「不遇な人生を送っていた若者が、魔法を使う老人に導かれて、最終的に幸せを掴む」というあらすじだけは似たり寄ったりな有名作品「シンデレラ」と比べることで考える。

1.作品としてのゴールと主人公のゴールの不一致
 シンデレラは、夢を信じ続けることの大切さを忘れない女性が主人公の物語。作品としてのゴールはもちろん「シンデレラと王子が結ばれること」である。
 シンデレラは舞踏会での男性との出会いを通して、互いの素性を知らないながらも惹かれ合う。男性の正体が王子であり、自身のことを求めていることを知ると彼と結ばれることを強く願うようになる。彼女はその後無事に王子と結婚。シンデレラが夢を叶える時、作品のゴールも達され、ハッピーエンドを迎える。

 一方、王様の剣のゴールは「剣を引き抜いた新しい王が見つかること」だが、ワートは、作中終盤に王様として認められるも戸惑うばかり。
 そもそも、ワートは権力を手にしたいという欲がなく、城の家来として大成できれば満足だという慎ましさである。作中で最終的にワートが王になることを受け入れ、立派な王様になることを目指すところでエンディングを迎えるならばまだ納得がいくのだが、そこも有耶無耶のまま作品が終わってしまうため、非常に消化不良である。(この先は原作のアーサー王伝説で楽しんでくれ、というのが制作側の意図なのだろうか。)

2.ヴィランの魅力の差
 ディズニー映画における悪役、所謂ディズニーヴィランズは作品を構成する重要な要素。キャラクターによっては、主人公を凌ぐ人気を持つ者もいる程である。

 シンデレラにおけるヴィランはトレメイン夫人。シンデレラの継母でありながら、彼女の美しさに嫉妬して家の仕事を全て押しつけ、召使いのように扱う。
 トレメインが真に恐ろしいのはその執念深さ。シンデレラが舞踏会に行きたさにドレスの修繕を始めようとすると、仕事を大量に与えて妨害。なんとかドレスが完成したと思ったら2人の娘をけしかけ、ドレスを台無しに。その後、王子が結婚相手として探し求める相手がシンデレラだと知ると、彼女を自室に閉じ込める。やっとのことで彼女が脱出するも、王子との仲を結ぶキーアイテムのガラスの靴を破壊ととどまるところがない。最終的にシンデレラがトレメインを出し抜き、幸せを迎えるのだが、彼女でなければトレメインの執拗さには負けてしまうだろう。
 トレメイン夫人は魔法や特殊能力を持たないただの人間だが、恐ろしいまでの執念深さやどこか自信あり気で優雅ささえ感じさせる立ち振る舞いから、ディズニーヴィランズの中でも上位の(悪人としての)カリスマ性を持つと言えるだろう。

 一方、王様の剣のヴィランは主に2人。1人は、マーリンのライバルのマダム・ミム。人を怖がらせる魔法を得意とする彼女は、マーリンとの魔法合戦でさまざまな動物に変身して彼を追い詰める。中でもドラゴンに変身して炎を吐くシーンは作中随一の派手さ。…なのだが、彼女はマーリンやワートに嫌がらせをするのが楽しみなだけであり、トレメインのようにワートが王として大成することを妨害したいわけではない。魔法合戦に敗北したあとは見せ場があるわけでもなく、物語からは退場してしまう。見栄えなど気にせず、周囲に恐怖を与えることこそ至上とする彼女の考え方は非常に魅力的だが、作中における彼女の影響力はトレメインのそれよりずっと低いと言えよう。
 もう1人のヴィランはワートを雇う城の主、エクター卿(とその息子のケイ)。彼はワートの弱い立場をいいことにたくさんの仕事を命令する、という一見するとトレメイン夫人と同じような立ち振る舞いをする。だが、ワートに着いて来たマーリンの魔法で酷い目に遭う、ケイが出場する馬上槍試合の特訓をするも一向に上手くいかない、などトレメインに比べてかなりコメディ寄りな扱いを受けている。また、ワートに厳しい態度をとるものの、一応彼の身を預かる責任感は持ち合わせているようでワートを心配するような言動が多少は見られる。物語のラストでワートが王として認められたときもそれまでの高圧的な態度について謝罪をするなど、人として最低限の良識は持ち合わせている。このような人間臭さはエクター卿の魅力ではあるが、やはり、トレメイン夫人のような主人公を追い詰める執拗さやカリスマ性はなく、物語の脅威としても力不足である。

 シンデレラとの比較にとどまらず、王様の剣に足りないものを挙げていくときりがないのだが、少なくとも上記の2つを纏めると王様の剣は、「物語の進行を妨げる脅威が小さいから盛り上がりに欠けるし、ゴールにたどり着いたってのに主人公があまり嬉しそうじゃないからこっちの感動もそこまででもない」ってところが足りない点ではないだろうか。(決してシンデレラと王様の剣の優劣を決めようとする意図はないので悪しからず。)

では

 では、この作品にはなんの価値もないのかと言ったらそんなことはない。作品としての視聴者を惹きつける力が薄いからといって、上記のマーリンの教えが全くの無価値であるはずはない。マーリン達の魔法合戦は画面映えするし、エクター卿やケイのコメディタッチな振る舞いも見ていて楽しい。

 特に物語が進むに連れてワート、マーリン、アルキメデスの信頼関係が深まっていく様はこの作品の大きな魅力である。
 
 偶然(マーリンだけは知っていた)出会った2人と1羽。これまで周囲にはいなかった理性的な言動で、頭を働かせることの重要性を説くマーリンに次第に信頼を寄せていくワート。さまざまな教えを授かるも自分の望みと師の求めるものの相違から対立し距離を置くことになるが、離れてわかる自身を教え説いてくれた師のありがたさ。ひょんなことから王様と祭り上げられることになってしまったワートを見たマーリンは嬉しそうだが、彼にはまだ導いてくれる存在が必要そうだ。

 未来を見通す能力を通じてワートと出会ったマーリン。どんなことにも真摯に取り組むことができる少年が間違った道に進まないよう教えを与えるが、当のワートは自身の可能性を見誤り、他人に使える身分で満足だと言い放つ。彼の望みの低さと人を導くことの難しさに苛立ちを覚え、マーリンは師の立場を手放す。再会時、偶然とはいえ名実ともに立派になった弟子の姿を見るマーリンはどこか満足気であった。

 同居人マーリンの元に迷い込んできたワート少年と出会ったアルキメデス。マーリンは彼を可能性の塊と評しているがどうにも疑わしい。2人は師弟関係を結ぶようだが、教える側も教わる側もどうにも危なっかしくて見てられない。やがてマーリンは師の立場を捨て旅立ってしまうが、アルキメデスはワートのことを放っては置けず彼を見守る。偶然が重なり、伝説の剣を抜いたワートは王様となる。あのワートが王様とは信じられない。まだまだこの少年からは目が離せない。

 以上、筆者の主観がかなり混じってはいるがこのような視点で見ると王様の剣の別の楽しみ方が見つけられるかもしれない。


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