①2018.11.3 まさかの大泣き。チョコが見つかった時のこと
近頃なんだか下腹部、右のかなり下の方が微妙に張るなぁ、そんで微妙に痛い、耐えられないほどではないけど、右の足の付け根あたりを上からおさえられているような違和感がなんだか気持ち悪い。
場所が下すぎるし、盲腸はものすごい痛みだろうから、違うよね、と。
スマホで調べればすぐに分かる、便利な世の中。
どう考えても子宮、卵巣あたりが怪しい。
行きつけの婦人科にて、先生に症状を告げるとすぐに
「内膜症だと思うよ」
とのこと。
ビンゴ…
何回乗っても慣れないあの診察台に寝て、脚を開き、エコーで中を見てもらう。
すぐに先生が
「あーーあーーーあーーー」
って唸るような声をあげたので、
すぐに何かあるんだろうな、と思った。
嫌な予感は的中してしまった。
「子宮内膜症、チョコレート嚢胞7センチ、手術して取らないとダメ」
マジかーーーーー。
元々生まれてきた意味だとか、人生についてとか、割と難しく考えるタチの私。
35歳、もう女としてだいぶいい年になって、ちょうどここのところ、自分が女として生まれて来た意味って一体なんだろう、と考えることが多くなった。
夫も持たず、子供も産まず。
元々PMSも酷く、婦人科に通い、ピルを飲んだり漢方を飲んだり、色々やってきた。
毎月生理に振り回されたのに、人科メスの役割は未だに果たしていない、女に生まれ、使える機能を使わずに、これでいいんだろうか、あんなに生理に苦しんだのに、これでは苦しみ損ではないか、、と。
そんなことを考えていた時だから、正直結構コタえた。
診察台に間抜けな格好で横たわり。
エコーの棒を動かしながら、先生の声が険しくなってきたので、次から次へと涙が溢れて来た。
動物として当たり前の、子孫を残すこと、生殖活動をしないでこれまで生きて来た。
それでもそこそこ楽しいし、幸せだと思っている。
それも1つの生き方だと、自分を納得させながら生きてきたつもり。
それでもまぁ、子供も可愛いし、好きだし、内田春菊さんの「私たちは繁殖している」を読んで、出産や育児自体に興味はあった。
単純にしてみたいという気持ちもあったけど、相手が必要だからなぁ、こればっかりは、という気持ち。
恋愛は残念ながらうまくいかない。
この人の子供を持ちたいと思った人がいたけれど、叶わなかった。
ずっと好きだった相手は、去年、10も年下の女性と結婚した。
この人と人生を共にすることは無理だろう、と思っていて、諦めていたはずだけど、それ相応に、いや、正直かなりショックだった。
子供を持たなくても、結婚しなくても楽しく人生を送りたい、このままでもきっと楽しい人生を送っていけるはず、それでいいじゃないか。
1人でもきっと生きていけるはず、そう思っていた。
子供は持てなくても、いつか、人生を共に楽しめる人が見つかればいいな、とは思っているし。
元々女性ホルモンの値が低いので、妊娠を望むのなら、不妊治療は必須かも、と言われていた。
第一、長年好きで好きで焦がれた人は、もう誰かの夫だ。
そんな心境でいた時だったので、自分の身体に、
「お前は間違ってる」って、否定されたような気分になってしまって、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
内膜症というのは、子供を産まない限りよくはならないことも知っていた。
自分がなってみて、こんなにもショックなものかと、驚いた。
身体は丈夫な方ではないものの、不思議なもので、自分にはそんなことは起こらないって信じ切ってるものなんだなぁ、と。
とりあえず後で詳しく説明するから、着替えて待合室で待って、と言われる。
鼻をすすりながら着替える。
その間も拭いてるそばから涙がとめどなく溢れてきて、一向に止まりそうにない。
カーテン越しに看護師さんから
「大丈夫?そんなにショックだった?でも、今見つかってよかったと思う、手遅れになる前に」
って優しく声をかけられて、ダーダー涙が出てきた。
言葉に詰まりながら「自分でも何となく想像付いていたから、やっぱりなって思って、、実際手術って言葉を聞くと、、」って話した。
途中でうまく話せなくなるくらい、もう、とにかく涙が溢れてきて止まらない。
命を取られるわけじゃなくても、こんなに動揺するものなんだなぁと、自分でも正直驚いた。
子宮の病気じゃなければ、恐らくこんなに動揺しなかったと思う。
続く。