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親孝行について考える

こんにちは。
yuta tomohiraです。
書き溜めていたので本日は2投稿です笑

年始は実家に帰りまして、親戚の集まりに参加しました。
まだ中学生の子供たちがいてめちゃくちゃかわいいんですよね!
あそぼーって誘われることはなくなり、こっちから誘っても無反応。
最終手段の勝ったらお年玉っていう大人らしい釣り方で遊んでいました(笑)
本気で遊んで圧勝してしまいまして、来年のリベンジを誓われました。

両親や祖父母にも会って、こんなことできる機会も限られているんだなと感じながら親孝行ってなんだろうかとふと考えることがありました。

自分自身いま努力している理由に親孝行は一つ含まれます。
ただ、そのために直近は親に対してあまりお金も時間もかけられていません。

これが本当に親孝行につながってるのかな?
と考えたことはあります。

いましている努力を放棄して家族に時間を使うことが孝行なのではと考えたこともあります。
おそらく、そういった自分の夢や将来と親を支えるということを天秤にかけている人はたくさんいるのではないでしょうか??

あくまで僕の意見ですが
僕はただ時間をともに過ごすのは無責任であるし、力になっているわけではないなと思います。
たしかにいま家族との優先順位を上げてそこに時間を割くことはできる。
でも、できることは一緒にいるだけ。それでもいい、それが大事といわれると思います。

ただ、長期的に見てそのあと親を支えたりする力はその優先順位の先にあるのでしょうか?
人を支えるにはお金が必須条件です。
祖父との死別の際の入院費をみたときにはじめて現実的なものとして考えるようになりました。

有事の際に、ただ一緒にいれるだけの自分ではあまりにも情けない。
それこそ手術台、入院費を払えないせいで死期が早まったり、助かる命が助からなかったり、最後満足して死ねないほうが自分はよっぽど嫌です。
自分自身が十分幸せで、余裕がある状態をもってして支えている状態で
自分の両親や祖父を見送ることが一番心おきない別れだと思っています。

どのタイミングで急にお金や時間がかかってくるかはわかりません。
先日自分の仲間が急遽親が倒れてしまって、一緒に努力することがかなわなくなりました。
その選択は背中を押しますが、やはり時間は有限です。

早く親孝行がしたいなら、もっと早く成果作るために、支えられる状態を作るために全リソースを割くべきではないかなと考えています。
自分が親孝行したいという感情もエンジンに変えて、ハードワークして結果作ります。

以上です。

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