内田裕也(よろしくロックンロール)
※2021年9月に公式LINEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。
親愛なる友だちへ、ひねもです。
僕は内田裕也が好き。
皆さんはどんなイメージを持っているだろうか?
ミュージシャン、音楽プロデューサー、イベントトプロモーター、映画監督、俳優、脚本家、政治活動家そしてタレントと活動は多岐に渡っていた。
TVに出る度に言っていた”よろしくロックンロール”という口癖について。
この言葉が出る度に視聴者は嘲けるように笑っているが、僕はなんだかジーンとしてしまう。 決してギャグではないと思うのだ。
経歴
経歴を知らない人はまずWikipediaを見てください。
そして興味を持ったら自伝本やインタビュー本を読んで欲しい。
どちらも最高です。
特に”俺は最低な奴さ”では69(ロック)歳の記念でオールヌード写真も載っている。かなり激ヤバな内容で必読です。
簡単な経歴
大学中退後、バンドマスターとして数々のバンドを組む。その中にはムッシュかまやつや山下敬二郎、寺内タケシなど超有名ミュージシャン多数。最初はロカビリー路線。
1959年に渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属し、日劇ウェスタンカーニバルに初登場。
その後、映画俳優としても活躍。1966年にはビートルズの前座を務める。
この辺りからサイケデリック・ロックに目覚め路線変更をする。
同時期にザ・タイガースをスカウト。音楽プロデューサーとしての活動も。
長期ヨーロッパ旅行に行く。本場のロックを体験。帰国後、内田裕也とザ・フラワーズを結成。
その後ザ・フラワーズはメンバー脱退を機にフラワー・トラベリン・バンドとして再編成。以後、内田裕也はヴォーカルではなくプロデュースを担当する。
1970年代半ばにはワンステップフェスティバルやワールドロックフェスティバルなどでイベントプロモーターとしても活躍する。
その後、映画監督や俳優、脚本としても多数の作品に携わる。同時期に女優の樹木希林と結婚。
1991年には東京都知事選に出馬。伝説の政見放送。
指原莉乃(AKB48)とのCDが公式音源ではラスト作品になると思う。TVタレントとしても活動。CM出演なども。
1981年からは“トルーマン・カポーティーロックンロールバンド”を結成。2000年代も継続して活動していたが残念ながらアルバム音源は製作されていない。
活動と音楽性
内田裕也は日本のロックンロール文化創始者の1人だと思う。
バンドマンでありながらプロデューサーであり、様々なイベントのプロモーターであり、映画監督であり、俳優でTVタレントで政治活動家でもあった。
活動が多岐に渡っている。
そのため内田裕也の魅力は簡潔には語れない。
そして凄さがわかりやすくないのだ。
スター性に目を付けてGSバンドのザ・タイガースをスカウトしプロデュースするなど、自分が良いと思ったものには形に拘らずに関わっていく。
そのため自身がバンドマスターでもヴォーカルをしたりしなかったり、また演出のみで携わっていたり、プロデュースだけなど一般的なミュージシャンとは活動内容が異なる。
普通ならば自分が歌いたい、または楽器が弾きたくてバンドを組むと思うが、バンドのコンセプトにより合う人がいればその人に任せバックボーカルまたは演出担当になるなど柔軟な対応を取る。
他の人とは考えてる事が全く違うと思う。
内田裕也自身が脚本を書き主演した映画“コミック雑誌なんかいらない!”では北野武を役者として起用。のちの“世界のキタノ”誕生のキッカケを作った。
音楽イベントではニューヨーク・ドールズ、ジェフ・ベック、フランク・ザッパ、レイ・チャールズなどの超有名な外タレを日本に初めて呼んだ。
ルー・リードと喧嘩した話しも有名。 ジョン・レノンと友達で〜と伝説にはキリがない。
出発点はロカビリーだったが常に新しい音やバンドを探していたはず。
TVタレントとしては”よろしく、ロックンロール”の口癖と独特な風貌、ゴシップネタも相まって正体不明のロックンロールの人ってイメージが強いはず。
しかし決して懐古主義的ロックンロールの人ではないと思う。
和製ジャニス・ジョプリンと称された麻生レミをスカウトして結成したザ・フラワーズはサイケデリックだったし、パンク・ロックな楽曲もやっていた。
ライブではジミヘンの“パープル・ヘイズ”がレパートリーにあり、SEにはレッド・ツェッペリンが流れた。とりわけロバート・プラントには強く影響を受けているらしい。
まだスターになっていないエアロスミス初来日時にはアテンドをした。お金がなかったので”湯豆腐を食べさせた”というエピソードもある。
全体的にハードな音楽を好んでいたように思うが”朝日のあたる家“もレパートリーにあり、ルーツミュージックへの理解も深かった。
内田裕也にとってロックンロールとは?
昔、芸人千鳥のTV番組にゲスト出演した際に大悟が
“ロックンロールとは一体なんですか?”
という質問をした。
そのときに
“定義はないけど、アートの中で僕は一番カッコいいジャンルだと確信してる”
と即答していてめちゃくちゃ痺れた。
さらに
“音楽の世界の象徴がロックンロールではないし、 リーゼントとかがロックンロールじゃない”
とも答えていた。
ロックンロールは生き方のひとつなんだよって。
これはもう完全に同意で深く頷ける。
僕は”アート/芸術“ではなく”カルチャー/文化“と呼ばせてもらっているが同じ気持ちだ。
なので、他と比べてどうこうという事は無い。
ただただこれが最高だと思っている、また自分がそれが好きなだけ。
多くの本当の力リスマがそうであるように内田裕也もすごく謙虚。
言い方にもすごく好感が持てて、本当にロックンロールが好きなのだなと思う。
ロックンロールというアートをみんなに知ってほしい、少しでも広めたいという気持ちで活動していた。
なのでバンド活動だけでなく、イベント開催、若手をフックアップ&プロデュースしたり、映画を製作、そしてTVに出たりと世の中にロックンロールを普及させるために全体を見た行動をしているのではないだろうか。
真冬にハドソン川をスーツで泳いだり、天安門広場など日本中&世界各国をママチャリで疾走するのもロックンロールというアートなのである。ゴー・ジョニー・ゴー!
ロックンロールよろしく
内田裕也の口癖
“ロックンロールよろしく”
“よろしくロックンロール”
“よろしく”
は
”おれがロックンロールだぜ夜露死苦〜!“
という事ではなく
“僕の好きなアートをみんなに知って欲しい”
という意味だと思う。
まだロックンロールを知らない人や、未来の子ども達に広めたいって気持ちから出ている言葉。
そして
“ロックンロールの事をよろしくお願いします”
とも聞こえる。
とっても大事な、まるで好きな人のことを言ってるかのような。
これはロックンロールを知っている人向けにではないか?と勝手に思っている。
ロックンロールという芸術が途絶えないように、その魅力がわかっているお前らも頑張れよ頼んだぞと。
なのでTVで真顔で言っているのを見る時に、ギャグとして笑うより僕はむしろちょっとジーンとしてしまう。
しかし全て含めてロックンロールの素敵なエンターテイメント部分なはずだからやっぱり笑うのが正しいとも思う。
そう捉えるとこの言葉を真っ直ぐに言えるのは内田裕也くらいだ。
ロックンロールと付かず離れずの関係をずーっと続けていたように思う。
、、、ここまで読んでわかった人もいるだろうけど内田裕也と付かず離れずの関係、つまり日本におけるロックンロールとはなんと樹木希林の事だったんですね!
、、、ブラザー、シスター、長文読んでくれてありがとうございました。
最後に。1974年に31歳でおばあさん役を演じ世間に衝撃を与えた樹木希林、その翌年にライブで”ロックンロールバカ(外道)”を歌う姿がめちゃくちゃカッコいいので是非。
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