筋トレブームに思うこと
今、フィットネスブームが来ています。
Youtubeでもヨガや自宅でできる運動を紹介するフィットネス系チャンネルや、ゴリゴリの筋肉の人達が発信する筋肉系と呼ばれるジャンルが確立しています。
個人がSNSで盛んに画像を上げているのも見ますし、マメな人だと毎日「(腕、足などの部位)のトレやった。XX筋が張ってきた。内容は~」と日記的にアップしています。他には筋トレやって人生変わったとか、筋トレにかける思いやら人生論などなど、熱量高めなコメントも多く並びます。
昔(20年くらい前?)は筋肉の人ってものすごくマニア臭が強く、あまり一般受けしなかったので、こうゆうのが受け容れられやすくなったのか、と隔世の感を覚えます。
私もコロナ自粛で在宅ワークが増えたので、空いた時間で筋トレをするようになり、その手の情報にも多く触れるようになりました。自分で多少やってるだけに分かるんですが、SNS上で見かける筋肉達は男女問わずものすごい仕上がりで、ついつい見入ってしまうほどです。自分ではとてもできないレベルまで発達した体は、やっぱり見ごたえがあります。
ただ、そんな筋トレブーム(筋肉ブーム)の写真を見て、個人的にものすごく「かぶる」人たちがいます。それは筋肉とは対極にいるような、カリッカリに痩せ、普通の人ではとても入らないような細身のファッションに身を包んだオシャレ男子・オシャレ女子。私が若い頃なので20年くらい前の記憶ですが、身につける服や髪型・髪色はめまぐるしく変わりながら、雑誌で取り上げられる若者はいつもやせ型(一部のアウトロー系とかB系は除く)で、やっぱり服を目立たせようとするとこういう体形が求められるのかな、と思ったものでした。
私自身もどちらかというと筋肉バンザイな方なんですが、最近は筋トレ、もとい筋肉が「ファッションアイテム」になってるなあと思うので、そこには微妙な気持ち悪さを感じてしまいます。
いや、鍛えれば体形が変わるし、それを家の鏡で見てひとりニヤニヤしてるくらいまでは個人の勝手だと思うんですよ。私自身もそうゆうことがあったし、コツコツ積み上げた日々の頑張りが形になってくるのは嬉しいもんです。ただ、それをアピールする人が増え、刹那的な消費の連続で成り立っているSNSに乗って日々流れているのを見ると、「なんか気持ち悪いなあ」と思ってしまうんですね。
特に筋肉系のコンテストが増え、その中で「流行りの体形」がはっきりしだした点が、個人的に気持ち悪いです。マニアックな話ですが、コンテストでは身長や体重などでクラス分けがなされ、大会ごとに評価される体形にも傾向がある(ボディビル=全身の筋肉量多い、めっちゃ力んで見えるポーズ⇔フィジーク=筋肉量も必要だが手足の長さと肩幅も大事、爽やかさもポイント)ので、出場者が押しなべて似たような外見、似たようなポーズとなります。大会によっては、ステージ上に並んだ出場者が一糸乱れぬタイミングでみんな同じポーズを取るので、余計に「流行り」感を強く感じます。
「ディスる割にお前めっちゃよく見てるな」というご指摘、ごもっともです!筋肉自体は好きなんですよ、流行り方が気持ち悪いだけです。
なんというか「イケてる自分を見て!」という自己主張のツールとして筋肉をつけることが流行になり、陳腐化し、「消費される」前提のファッションアイテムになってしまったと思うんです。筋肉がミーハーになったと言うべきか。
そこまで流行ってない頃は筋トレって、やっぱり「見てみて!」感はあったものの、珍しいのでそれなりに差別化されてた気がするんですよね。でもやってる人が増えた今は希少価値も薄れ、自己顕示欲だけが目立つようになった感じ。
ところで「鍛えてる」というくくりで少し視線を変えると、自重系の筋トレ(ストリート・ワークアウト)勢、格闘技の選手(種目によって全然違う)、武術の人(格闘技とはまた違う身のこなし)、体操やその他のスポーツをやってる人もいて、いわゆる「筋肉が目的な人」も含めて見比べると、それぞれその分野に特有の体形をしているなと思うことが多いです。これは流行りでなくて競技特性に適合した結果なんですが、そうした色んな分野の「鍛え上げられた・磨き上げられた」姿(服を着ていてもその佇まい)はとても美しいものです。
また、競技者の姿はあまり「見てみて!この筋肉(フォームでも服でもなんでもいい)」みたいな自己顕示欲は感じないんですが、筋肉の人だけは別。見栄えをよくするためにやってるんで、「見てみて!」を消すわけにはいかない。
つまり「見てみて!」と「流行り」ががっつり噛み合ってしまった結果、ファッションアイテム化したのが今のSNSに見る筋肉ということになります。
もうちょっと目立ちすぎない、息の長いジャンルとして続いてほしいなあと思うおっさんでした。