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キラキラ投稿が苦手なくせに真面目に考えてみた
インスタ映え。
もう、この言葉も古きものなのだろうか。
生活のキラキラな部分を切り取って投稿する。私は、あまり得意じゃない。あからさまにキラキラしてる投稿も苦手。そもそも、切り取るキラキラした部分もないのだけど(笑)
ないゆえの、嫉妬なのだろうか?
ゼロではないのかもしれんけど、まぁ、ぶっちゃけ、人のキラキラなんてどうでもいいと思ってるw
人のキラキラに嫉妬するってことは、自分には無い状態なわけで、それをモンモンと嫉妬したところで、手に入るわけではない。そういう意味で、どうでもいい感じ。
ただ、このキラキラ投稿。何が言いたくて、してんねんろ?と思ったりはしてて。
今日、その疑問に一つの回答が見えた!(私の中で)
私から見たら「え?ん?」って思うようなキラキラ投稿でも、それを見て希望が与えられる人もいるという事実。
いや、そりゃそうだ!だけども、どうやら、この頃の私は視野が狭くなっていたようで。
私がとくだん、キラキラしてると思われたいと思っていないから、そういう類の投稿にたいして、引き気味なだけで、キラキラしたい!と思ってる人からしたら、希望となるんだ。
2:6:2の法則というものがあるらしい。
“どのような組織・集団も、人材の構成比率は、優秀な働きを見せる人が2割、普通の働きをする人が6割、貢献度の低い人が2割となる”という理論を指す
これはどうやら、経済学者が提唱したパレートの法則なるものの発展形らしいのだが、この法則を人間関係に当てはめて考えてみると、
「自分の周囲にいる人の2割は私のことが好き。6割はどちらでもない、2割は私のことが嫌い」ということになる。
つまり、こういうことだ。
キラキラしている投稿に対しての私は、好きじゃない方の2割に入っている。だけど、6割に入っている人もいて、好きの2割に入っている人もいる。
ただ、それだけのこと。
だからって、私がその好きの2割に入っている人を、白い目で見ることもおかしいし、私が白い目で見られることもおかしな話。
誰かの希望になるかもしれんのなら、自分が心地よいことすれば良い。ここで、うんちく並べてる私の投稿より、キラキラしている投稿は人に希望を与えるのかもしれない。
とはいえ、完全に好き勝手やっていいって話とは、また違ってくるけど。
自分が好きじゃないなぁと素直に思うこととは、精神的距離をおいて観察対象ぐらいにすればいいし、見たり接触すると自分が腐るなら物理的に距離をおけばいいだけ。
好きだなと素直に思うことには、素直に好きと思っておけばいい(ストーカーせよ!って話では、決してない!)
ここでもやっぱり思うのは、自分のことを良く知ることの重要性。
どう在りたいと思っているのか?
どう感じているのか?
どう生きたいのか?
こんな感じのことを、素直に明らかに見る、知るってことが大事だなと思う。
おぉ、今日も、真面目だなー(笑)自分のことは棚に上げて、真面目にうんちくたれるのがどうやら好きらしい(笑)つまらんやつめw
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