今ここに沢口靖子が来なかったか⁉︎…バカモーン!そいつがルヴァンだ!
最近の千鳥ノブを見ていると、彼は近いうち「クセ!」「クセじゃ!」などの数パターンの音声を一定間隔でランダムに再生する機械に代替されるのではないかと感じる。
コロナ禍および頻発する迷惑客被害の影響を受けて、回転寿司はレーンに寿司が乗らないどころかモニター上で寿司のイラストが回遊するような方向性に舵を切っている。将来的に回転寿司という体験はVR、ひいては培養槽の中の脳みたいな領域に至るのではないか。
それはそれとして、回転寿司のタッチパネルに声優を起用するの何なんですか?声優も仕事だしプライドがあるからか異様にハキハキと商品到着などを通知してくれるが、客にとって商品が到着することはただの現象であって注文という行為に対する当然の帰結、すなわちイベントとして非常に無機質なものなのだから、いちいちそんな熱量で来られてもという感はある。新幹線の形状のゴンドラに乗って来るくらいの薄ら寒いサービス精神でちょうどよいのだ。逆に、魚の切り身が店中を回転したり高速で移動したりしているという回転寿司そのものの滑稽さはもっと取り沙汰されてもよいとは思う。まあ、将来的にはこんなことを培養液に浸かりながら考えることになるのだが。
社会全体がゆるゆると培養液槽への引っ越しをしている。氾濫する情報やコンテンツを効率的に取捨選択する必要に迫られる時流は加速していくばかりだ。今は「タイパ」などという小洒落た概念でかろうじて記述できてはいるが、これをさらに先鋭化していくと結局脳への刺激到達の最短化・効率化・ローコスト化に集約し、最もインスタントな報酬系のあり方を求めて培養液槽へとダイブしていくのだ。
そうなると、真に価値がある(というと横暴だが)、非代替性ゆえの価値を獲得するのは物理的・肉体的なハードに依存した娯楽ということになる。たとえばセックスはこのご時世に動機から内容・報酬に至るまでのほとんどを肉体というハードに依存しており、もはやそれが興奮材料になっているのではないかという逆説的な仮説さえ生まれる。このように、エンタメに限らず今後は何かフィジカル依存の体験価値・付加価値を見出していかないと魂が離反していく一方である。羂索だって術式目当てで他人の肉体を欲していたのだから、そういうことである。
一方で、高度に情報化された社会に渦巻く種々のアルゴリズムによって我々は精神的な娯楽を享受しているわけだが、果たしてそれによって我々の精神世界は多様化しているのか、はたまた画一化されているのかについては双方の立場に立って慎重に検討する必要があるように思う。
ことインターネット世界においては、もはやすべての筋道がアルゴリズムによって規定──お膳立てされていると言ってよい。したがって自分と似たような社会属性の人は似たようなものに触れているし、ひとつひとつの流行の速度と規模も馬鹿にならなくなってきている。冷笑なんかしている暇が無い。しかもこういったアルゴリズムは体感上「運命」を装っているから注意が必要である。
とまあ、そういった言及はされ尽くしており特段見当違いとも思わないが、もはやこれほどまでにアルゴリズムに侵食された状態を始点として考えると、それに甘んじるか否かに対してもよほど精神レベルの低い人でない限り首が据わっているというか、意識下にせよそうでないにせよ、大多数の人はもう「アルゴリズムであることは分かっている」のである。
アルゴリズムと我々の距離は原初と比べ非常に遠いところにある。我々は言うなればアルゴリズムの波に曝されているのであり、何なら潮目のような箇所で揉まれている。先に述べた「運命」のシニフィアンはアルゴリズムの氾濫原の中から特定のものに出会うというプロセスにシフトしてきており、およそ画一化されたフィールドでどう踠くかによって多様性を示すような高度な精神活動が求められている。
ただ、その「高度な精神活動」を判ずることはかなり難しいと言える(判ずる必要がそもそもないのは別として)。「情報の獲得」が専ら能動的行為であった時代と比べ、非情な程に現代のそれは受動的様相を呈している。これは当人の姿勢如何ではなく、潮流であり、環境要因として避けられない規定である。その中で適切に取捨選択、しかもそれを能動的にできているかについて墨をつけるのは、もはや当人にも不可能であると言えよう。この辺りを考えようとすると先程のアルゴリズムだの運命だのの話が反駁として湧き上がり、堂々巡りになるだけである。
しかしながら、「休みの日は何をしているんですか?」と尋ねると「YouTube観てます」「ネトフリを観てます」と答える人に関してはもう少し精神の地盤を強く持つことを強くおすすめする。非生産的。受動の極致。精神の死。貴方の精神は既に禿山に立つ木の様になっており、風に戦いだり雨を透かしたりをしているだけである。地震などが来たら一撃で根元から崩落する。だいいち、YouTubeやネトフリは手段であって目的にはなり得ない。本当に、作品とかではなく「YouTube」や「ネトフリ」を観測しているのならばよい。魂の形を知覚せよ。