【日向坂46】復帰1周年。濱岸ひよりが笑顔でいられる。日向はずっとそんなグループであって欲しい。
「濱岸ひよりが変わらず笑顔でいられること。」
これは筆者が日向坂を見る上で特に重視している項目です。彼女は誰よりも純粋で、それ故にまわりの影響をとても受けやすい子です。
2019年はそれが悪い方向に働きました。改名とともに慌ただしくなる中で、濱岸の休業が発表。以前からステージの欠場をはじめ、意気消沈した姿が度々見られていたことから、誰が見ても心身の不調であることは明らかでした。
だからこそ復帰後、彼女が前向きな表情でステージに立ち、純真無垢な笑顔を見せ続けてくれていることが本当に嬉しく思えます。影響を受けやすい彼女が笑顔で居続けられる、それは今の環境に安心できている証拠です。彼女の存在は、日向坂46そのものの健康度を示す指標として機能していると言っても過言ではありません。
実際彼女が休業に入る前の日向坂46は、持ち前のハッピーオーラを失いつつありました。
■新たなスタートと、そこで失ったもの。
日向坂46は全員が仕事に対して前向きで、一体感が伝わってくるのが魅力のグループです。そしてそのおひさまのような明るさは多くの人の心を惹き付け、欅坂46からの独立という特殊な経緯を経ながら、第3の坂道グループとしての地位を確立しました。
しかし改名直後の彼女たちには、今のようにがむしゃらで「みんなで前に進もうとする姿」はあまり見られなくなっていました。
そしてそれを象徴するように、改名という光明が差した矢先、これまでフロントメンバーとしてグループの成長を支えてきた1期生・柿崎芽実が卒業を発表します。
直前に運営からストーカー行為に対する警告がアナウンスされていたことから、多くのファンが柿崎の卒業理由はこれだと考えました。一方で2020年に公開されたドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』では、柿崎が最後まで改名に納得しきれていなかったことが描写されています。
柿崎は日向坂46への改名が発表された際にも、歓喜に湧くメンバーの中で一人悲しみとも捉えられる涙を流していました。その様子にメンバーもファンも気づいていたはずですが、結局は改名という嬉しいニュースに目を奪われ、その涙の真意を捉えられませんでした。
結果柿崎は1stシングルの活動をもって卒業を選び、残された1期生は柿崎とのコミュニケーションの不足を悔やむことになります。また柿崎と特に親密だった1期生・高瀬愛奈は彼女の卒業についてこう綴っています。
まさかめみが1番に卒業することになるとは思ってもなかったし、
辞めるときは全員で辞めようねなんて言っていた時期が懐かしいです。
そんなのは無理だとわかっていてもその当時はなぜか誰も卒業なんてしないと思っていました。
でも気付けばもうけやき坂として加入してから3年以上経ってるわけで、気付けばいつのまにか全員で揃ってパフォーマンスをしたりテレビに出たりすることがだんだんなくなってきて、
ここまでみんなでやってこれただけでもすごいことだったんだなと思います。
これだけ月日が経つとグループの雰囲気も変わってきて、卒業も当たり前なわけで。
だけど、ながるやめみがいたということやひらがなけやきとしてやっていたという事実はずっと変わらないことなので忘れないでいたいです。
このブログでは改名を通して個々の意識や目指すべき姿、想いにズレが生じていく中で、グループの雰囲気が徐々に変わっていったことが示唆されています。
加えて2019年9月に放送された『セルフ Documentary of 日向坂46』でも、1期生・高本彩花が「ひらがなくりすます(2018年12月に行われたライブ)はすっごい楽しかった。けど今はその空気がない。」「あの頃にあった一体感がなくなった。」と口にしています。
またこの記事でも書いたように、当時は2期生の渡邉美穂もフォーメーション争いの感覚に取り付かれるなど、多くのメンバーからまわりに目を向ける余裕が失われていました。日向坂46になって個人の仕事が増え、個々に目標が生まれていく中で、皮肉にもグループを象徴する『ハッピーオーラ』は急速に失われていきました。
そして同番組ではキャプテンの佐々木久美が「(日向坂の弱さは)誰か一人が綻ぶとそれがまわりに伝染していってしまうこと」と語っています。誰よりも純粋で、誰よりも影響を受けやすい濱岸ひよりは、ハッピーオーラの失われたグループの中で何を感じていたのでしょうか。
それを知る術はありませんが、綻びが生まれたグループの中で彼女はついに『休業』という選択を取ることになります。
■決意のリスタートと、そこで獲得したもの。
休業中に何度も辞めようと考えた彼女ですが、『母』として慕う1期生・佐々木美玲をはじめとしたメンバーの激励のもと、ついにグループに復帰するまでに至ります。
佐々木美玲は休業中でも常に濱岸と連絡を交わし、彼女が東京に来た僅かなタイミングで一緒にごはんに行くなど、献身的な姿勢で濱岸を支え続けました。
加入当時から仲の良い同期の河田陽菜もごはんに連れ出したり、同じく同期の丹生明里も彼女の好きな漫画の話題で声を掛けたりと、休業中の彼女に決して「居づらさ」を感じさせない雰囲気を作り上げました。
かつてハッピーオーラを失いかけた日向坂は、濱岸をハッピーにするために再び一体感を取り戻すことになります。そしてこの姿勢は後々、松田好花の休業時にもいかんなく発揮されることになります。(下記記事に詳細を別記)
そして濱岸は2020年2月開催の『日向坂46×DASADA LIVE&FASHION SHOW』でステージ復帰を果たします。久しぶりにファンの前に出る恐怖心から泣き出し、同期の金村美玖に慰められる姿も見られましたが、登壇後は休業前と謙遜ないパフォーマンスを披露。4thシングルのカップリング曲『青春の馬』では振付師のTAKAHIROの考案のもとメンバーが濱岸を迎え入れる振りが採用されており、このシーンを涙を流しながら踊る彼女の姿に多くのファンが感動を覚えました。(なんなら踊ってる横でメンバーの松田好花もガン泣きしてます。)
その後は不幸にもコロナの影響で日向坂46は事実上の活動休止となってしまいますが、彼女はその間もメッセージアプリを使って積極的にファンにメッセージを発信したり、持ち前のスタイルの良さを活かして〖月刊ひよリズム〗というブログ企画で私服コーディネートを披露したりと、グループの活動に対して前向きに取り組んでいくようになります。
さらに自粛期間中にはイメチェンを図り、幼さを感じる容姿から脱却。同年9月にリリースした1stアルバムの表題曲『アザトカワイイ』では大人びた姿とともに自慢の美脚を披露し、そのスタイルの良さをこれでもかと世間に知らしめました。
そんな彼女の姿から筆者が感じたのは、まだ休業前にはなかった『自信』が身についているということです。休業前の彼女は番組でも上手く喋れず、喋ってもゲラ(笑い)が発動してしまう状態でしたが、復帰後はこうした姿を殆ど見なくなり、バラエティの企画に対しても積極的に参加していくようになります。
そもそもゲラは緊張や自信のなさを隠すための現象なので(いわゆる笑って誤魔化す)、これがなくなったということは、彼女が今の自分にしっかりと自信を持てるようになったという証拠でもあります。
支えてくれる仲間がいる、ここにいていいと思わせてくれる場所がある、そんな安心感を与えられるグループになったからこそ、復帰後の彼女はこんなにも輝き、心から活動を楽しんでいる姿を見せてくれているのだと思います。
特に2020年はコロナの影響で社会全体が落ち込んだ年でした。その中でも日向坂は濱岸をはじめ、多くのメンバーが明るい笑顔を見せ、ファンに元気を与えてくれました。もはやかつての綻びはどこにもなく、まさにハッピーオーラを体現するグループとして世間に存在感を示していました。
またこれは筆者の体感ですが、濱岸は復帰後に全身を撮った写真をブログやメッセージで発信する機会が増えたように思えます。持ち前の『スタイルの良さ』を自覚し、そこに自信を抱けるようになったからこそ、こうした写真をアップする頻度も増えたのだと思います。
最近はグンと大人っぽい雰囲気になっているので、いつかモデルの仕事が舞い込むことも期待してしまいますね。
ということで今回は日向坂46自体の変化も絡めながら、濱岸ひよりにフォーカスした記事となりました。
濱岸ひよりは日向坂46にとって「あの時声を掛けていなかったら」というIFが起こり得た存在です。彼女の休業をライバルの離脱や辞める前の布石として考えず、復帰のために必要な期間と考えて手を差し伸べてきたからこそ、彼女は今このグループで輝きを放っているんだと思います。
これからもひよたんが全力で活動を楽しみ、心から笑えるグループであって欲しいと、筆者は心から願っています。それは結果的に日向坂がすごく良い状態ということでもありますしね!
さてさて、それでは今回はこの辺にて。
長文にも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました!
(今日が何日か完全に忘れていましたが、この記事をアップした本日1/7がひよたんの復帰1周年のようです。すごい偶然)
#7.幸せの色に染まるとき