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一粒の米

私は車を運転しながら自分の人生を考えていた。
人生の折り返し地点を過ぎ、病に侵されるまで何も考えた事が無かった。
私の生き様が今の若い人達への励ましになれば、というのは傲慢だし、どの位の人達へ伝わるのかは全くもって検討がつかないが書いていこうと思う。

高校卒業時進学をしたかったが経済的に無理、親の古い長男教により進学を断念した。
その時はインターネットなんかは無く、ワープロが主流な時代で若い子には想像がつかないだろうが、ポケベルが流行っていた時代だった。
情報量は圧倒的に少なく、こんな片田舎では東京の情報でさえも取得出来ない時代。あるのは就職氷河期という政府や企業が失策した暗黒時代がそこにあった。
そして18歳で人生の迷路の一歩を進む事になる。

世間は不景気で失業者が多く居た。法政大学を卒業しながらスーパーの惣菜を作っている者や、ホテルのフロントをしている者、今では考えられない事が起きていた。
そんな中私は何も考えずに世間に飛び込んだ。地獄だろうがどこ吹く風で、募集をしていない会社に飛び込みで応募してその度胸で採用されたりと何故か職には困らなかった。しかし、自分は何者で何をしいたいのか、働く事はどういう事なのかきちんと誰も説いてくれる人がおらず長続きする事がなかった。

親からは「女は途中で結婚をして家庭に入るから仕事はどうでもよい」と当たり前の様に言われていた。
20代後半で親が考えている「当たり前の事」にチャレンジしたが、それも失敗して途方に暮れる中仕事を探し始めた。
なんとなく職を得て働き続ける中で働く事はどういう事なのかがわかり始めた。他の人からみたら何を今更と思うかもしれないが、自分でも笑ってしまう位遅い気付きなのだ。

そして30代で外資系で勤める事になった。周りは日本では名だたる大卒者ばかり、高卒は私1人という奇妙な状況になったが別に気にする事は無かった。
誰かが鈍感力は必要だと言っていたが、私はその能力をフルに発揮したのだろう。

そして親の病気をきっかけに田舎に戻る事になった。で、現在会社を設立して今に至っている。
まだ吹けば飛ぶ会社ではあるが、何とかこれから来る不況を乗り越えたいと思う。

前述でざっと人生を振り返ってみたのだが、もしこれを奇跡的に読んでくれた人に伝えたい。

タイトルの一粒の米、米は私でありあなたでもある。
田んぼは宇宙、米は人類、その中の一粒が自分。
赤飯になるのか、白米になるのか、炊き込みご飯になるのか、はたまた酢飯になるのか自分の自由意志。どれも美味しく捨てる事はない。人と比べて落ち込んでも意味がない。どんなご飯にするのかは自分の自由意思であり、美味しく炊けるかどうかも自分次第。
大勢の中の一粒の米、気付きが遅くなっても焦る事はないのだ。

命ある限り私はクソ面白い人生を突っ走る。
ただそれだけだ。

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