コロナと原発から見る希望の国
毎日、コロナのニュースを見ている私は、ゴロネ(ごろ寝)という新種のウイルスにかかったのではないかと心配してしまいましたが、いつものことだと夫のPちゃんに言われるので安心して、通常通りゴロネを発症しています。w
とは言っても、このニュースを見るたびに思い出してしまうのが、
「福島原発」
被害もそうですが、あの時の風評被害だって酷かった。
今でさえも、大阪のコロナホテルに「コロナ大丈夫ですか?」と電話してくる人がいるそうだ。信じられないが、うちの父までも、「コロナビール大丈夫かな?」なんて冗談もそこそこにしてくれよと呆れるばかり・・・( ̄∇ ̄)
自分の身を守ることも大事だし、愛する家族を守りたいのも当然だと思う。
だけど、過剰に反応して異常な行動をしてしまうのは、なんでだろう・・・。
ゴロネをしながら、ふとこの映画のことを思い出した。
園子温の「希望の国」
原発事故をきっかけに、3組の男女の行く末が描かれている。
悲劇というのは、いつでも突然に起こる。だから悲劇というのかな〜。
私は小学生の頃、阪神淡路大震災で被災者となった。奇跡的に我が家だけが立っていて、子どもながらに申し訳ない気持ちになった。
避難場所として玄関先を解放していたが、向かいの家では火が燃えさかり、苦い煙りと共に火の粉が飛び、立ちすくむ人をただ見ていた。
私は、当事者でもあり傍観者でもあった。
この映画で印象的だったのが、
防護服を着て買い物へ行く園子温の奥さん。
彼女の役は、原発の最中に身ごもった女性が我が子のためにと、防護服で身を包み、買い物へ行く際は、放射能測定器で1つずつ野菜をチェックする。
とても滑稽に見えるが、人をそこまで動かしてしまうものは愛ゆえに。と言ったところだろうか・・・?
何処にでもいる、なんでもない家族や夫婦もそれぞれに
生きていく苦しみや悲しみや別れがあり、
どんな最悪な状態でも、
生きていると必ず、
喜びや希望を見いだすことができると思っていた。
「希望の国」というタイトルに願いを込めて観て欲しい。
世間を騒がすコロナを発症した人は加害者ではなく被害者で、
被害者ぶっている私たちは加害者かもしれなくて・・・。
いつだって、自分の都合のいいようにしか世間を見れないし、
見えない。
だから、夢を持つのかもしれない。
夢があれば、それが希望になる。
夢があれば、それが原動力になる。
だから、
希望という夢を持ち続けるのかもしれない。
希望の国という夢の国を目指すこと。
それが生きる目的であるかのように。
私はいつも、いつでも、どんな時も、笑っていたい。
泣いても、笑いたい。
笑える日常が、
特別なものであってはいけないと願っている。
明日が今日より、
笑顔の多い日となりますように・・・♡
愛、夢、希望、あいみやんとなりますように・・・(๑˃̵ᴗ˂̵)
それでは、またの投稿で〜♡
ciao♡