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中学時代の陰湿ないじめについて

今も昔もいじめはなくならない。

私は中学時代、いじめを受け続けていた。

一番のピークは中2の時であった。

毎日セーラー服を着るのが億劫だったが、母に心配をかけないよう、平然とした顔で通い続けた。

いじめっ子達のいる教室に、もはや私の居場所はない。

そんな地獄のような狭くて古い教室に、私は毎日通った。

授業中は、後ろから音にならない静かな攻撃を受ける。

休み時間には、トイレで上から水を浴びさせられる。

昼休みには、どのグループにも入れない孤独なランチタイムが訪れる。

気がつけばノートや教科書がなくなり、服は汚れ、上靴に泥が付いていた。

終業のチャイムが鳴ると、毎日逃げるように学校を後にした。

そんな日々が、約3年間続いた。

どうして私はいじめのターゲットになったのか?

女子同士のいじめは、大体「ひがみ」が原因なんじゃないかな。

私の場合は、学年のボス的存在の女子が当時人気ナンバーワンの男子に告白したもののフラれたらしく、その理由が私だったらしい。

そのナンバーワン男子が「ひなたちゃんが好きだから」って言ったようで。

それで「ひなたって誰だよ!(`ω´ )」となり、女子ボスからターゲットに認定された。

ただ、私はそのナンバーワン男子の顔すら知らなかったし、お前こそ誰だよって感じで、とばっちりもいいとこである。

まぁ、女子から見たら、それ以外にも気に食わないポイントが重なったんだと思う。

元々群れるのが苦手で、女子のグループには積極的に入らなかった。

そのくせ、優等生で先生からの人気もあったり、容姿も中学生の割には大人びていたと思う。

グループにも属さず、ボスにも媚を売らず、先生から一目置かれ、自分達より大人っぽい外見。

そんな女子がいたら、まぁいじめたくもなるのかな。分からないけど。

そんな流れで、私へのいじめは始まってしまった。

追い討ちをかけた”担任教師の見て見ぬフリ”

どんなにいじめられても、私は表情を変えなかった。

内心(可哀想な連中だな…)と思っていたし、卒業したらもっといい高校に行こうと決めていたので、耐える事ができた。

ただ、中2のピーク時は流石の私もなかなか精神的に追い討ちをかけられており、孤独で辛い日々だった。

当時の担任は、50代後半くらいの中年男性だった。

彼は大人しく、女子ボスにも逆らえない位か弱な教師であったが、私は彼を唯一頼っていた。

中2にクラス替えで女子ボスと同じクラスになるのだが(この時点で地獄…)

か弱な担任は私がなんらかの攻撃を受けている事を把握してくれていた。

いつも、女子ボスがいない時にこっそりと「大丈夫か?」「職員室に来てもええんやで」と声を掛けてくれていたから。

あぁ、この先生は私を見てくれているんだと。

何かあっても、この先生にSOSを出せばいんだなと思っていた。

女子ボスと同じクラスになったのは不幸であったが、担任がこの人で救われたとさえ思っていた。

しかし。

彼は、自分を犠牲にしてまでは私を助けてはくれなかった。

ある昼食時、いつものように私はひとり机で弁当を食べていた。

みんなは大体4、5人くらいのグループになって会話をしながら食べるのだが、私は毎日ひとりぼっち。

しかし担任が、教室内で食べていたので、いわゆる”はみご”にされても大丈夫だった。

その日、女子ボスはやたらと機嫌が悪く、朝から様々な嫌がらせを受けていたのだが、昼食時にも後ろから私に消しゴムや定規などを投げつけてきた。
暴言もいつもより酷かった。

私は一刻も早く食べ終わり教室を出たかった。

クラス中が私と女子ボスを無言で見てる中、私は弁当をかき込んだ。

その時、女子ボスの子分的存在の別の女子が、突然立ち上がって、私の背中に何かを入れにきた。

背中の中で、虫のような何かが這うように動き回っているのを感じた。

気持ち悪いのと驚きが重なり、かき込んだ弁当を私は口の中から吐き出し、それが机の上から床へと流れ落ちてしまった。

やだ〜!汚い!汚ねぇ!クセェ!最悪!きもい!

という声が教室中に広がった。

私は泣きそうなのを通り越して頭の中が真っ白になっていた。

とにかく背中の中の何かを出すのに必死だった。

もう我慢ができず、セーラー服のチャックを開け、下着が見える事を気にもできないままその何かを追い払った。(結局ヤモリでした。)

男子もいる教室の中でセーラー服が乱れ、食べた物を口から床へ吐き出し、ただただ呆然としていた私は、早く担任の一言が欲しかった。

助けて。先生助けて。身体が固まって動けない。

そうしてやっと担任は重い腰をあげるように、こう言った。

「ほら、お前ら、もうその辺にしとけ。ほんで、はよ食べ。」

終わり。これで終わり。この後に言葉は何も続かなかった。

私は担任の方を見つめていたが、彼は私と目を合わそうとしなかった。

後ろの方では女子ボス達の薄ら笑いが聞こえる。

男子達はきもいから早く服来てくれよと言っている。

あぁ、最悪だな、この教室には私の味方は誰もいないんだ。

本当にひとりぼっちだったんだ、と思った。

私は、いじめられている事よりも、担任が助け舟を出してくれなかった事の方が辛かった。

女子からの攻撃は我慢していればいいけど、身近な大人が助けてくれないって本当に絶望的な辛さだった。

そういう出来事があってから、中学を卒業するまで本当の意味でひとりぼっちの中学生活が続くのであった。

逃げるように去った卒業式の日の開放感

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そんな地獄のような中2も終わり、中3でも相変わらずひとりだったけど女子ボスとは別のクラスになり、私の中学生活は無事に終わりの日を迎えた。

今日でセーラー服を着るのも終わりだ。

卒業式が終わったら、私は開放される。

そう思いながら、いつものように学校へ向かった。

卒業式の後、同級生達はみんなで写真を撮ったり、寄せ書きを回したり、先生と泣き合ったりしていた。

私は、そんな同級生達の風景を横目に見ながら、誰にも言葉を告げず中学校を後にした。

女子ボスや、その仲間や、か弱な元担任や、一言も喋らなかった同級生達とも、もう一生会わないんだろうな。

中学での出来事を、早くも過去の事のように感じていた。

帰り道、まだ誰も卒業式から帰っておらず、私は一人でいつもの通学路を歩いた。

毎日灰色に見えた地獄のような通学路も、その時は希望を持って歩く事ができた。

卒業式には母親も来ていたようだったが、私を見つける事ができなかったらしい。

彼女は私のいじめを知らないので、どうしてあなたは誰とも写真も撮らず、誰からの寄せ書きもないの?と、最後まで言っていた気がする。

その後、私は地元からは誰も行かない、ちょっと離れた川の向こう側にある高校へ入学し、新しい人生のスタートを切る事ができた。

いじめというのは本当に陰湿で、今も悩む子が多いと思うと胸が痛むけど、私のように大人になってから振り返る事ができる人もいる。

今思えばあの教室だけが私の居場所だと思っていたけど、そんな事はない。

逃げるが勝ちという言葉もあるように、逃げたって全然よかったのにな、と今は思う。

だけど、中学のあの経験があるからこそ、私は人をいじめてはいけないと分かったし、人間の弱いところを見る事ができた。

今の私も相変わらずひとりぼっちではあるが、将来はずいぶん幸せだよと当時の私に言ってあげたい。

いじめがひどい時には、トイレの個室で弁当を食べていた可哀想な女の子も、ちゃんと大人になって子供を産んで、笑いながら暮らしているんだよと。

**

おしまい^_^


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