結婚していた方が孤独だった。
夫と別れるという事や、夫との愛を諦める事は、イコール孤独だと思っていた。
夫といる事が愛であり、死ぬまで夫婦でいる事、それだけを守っていれば私は愛の中で生きれると思っていた。
でも今感じているのは、あの頃の私よりも今の私の方が、自由で幸せだという事。
あの頃、夫と一緒にいた頃の方が、狭くて苦しい世界で生きていた。
離婚をして、私は直後、すごく孤独を感じて辛い日々が続いた。
彼に会いたい、一緒にいたい、やっぱり別れなければよかった。
ただ、その「孤独だなぁ」という時間は、私に自分と見つめ合う時間をたっぷりくれた。
1日の中で、子供といない時間は全て私のものだった。
人生で初めて自分と向き合い、孤独を感じ、私は私に戻っていった。
孤独を越えると、孤独に飲み込まれるのではなく、孤独の上に立っているような感覚になった。
そして、本当は彼に会いたいわけではなく、一緒にいたいわけでもなく、「もう寂しくなりたくない」という自己中な思いが源だったことも分かった。
なんだ、私は別に、夫のことを好きでも愛してもなくて、利用していただけなんだなと思った。
なかなかに酷い人だったけど、私も夫を設けることで、利用して、寂しさを埋めたかっただけなのか、私もまぁまぁ酷いな、と思った。
誰かと、何かと繋がっていたくて夫に執着していたが、私は孤独と向き合うようになってから、そういう執着を感じなくなった。
代わりに、私は世界と繋がっているんだなと感じるようになった。
朝起きて、子供を見送って、仕事をして、夜には子供のために食事を作り、そして寝る前に自分の時間を過ごして眠る。
その生活の中で、確実に季節は変わっていくし、木が枯れたり、花が咲いたりする。
自分も常に変化する自然の一部に過ぎないんだと認識できると、自分の周囲の変化にも動じなくなる。
誰かの気持ちが変わっても、離れて行っても、それは自然な事。
そうやって生きて死んでいくだけなんだと思うと、いつもの毎日を大切に生きる事ができる。
ここまで来ると、「孤独だなぁ」とは思わないし、結婚していた方が孤独に飲み込まれていたな、と振り返る。
結婚とは贅沢なもので、誰かと一緒に暮らせたりする、幸せな契約である事は間違いないと思う。
でも、本来の人としての孤独な状態を知っていてこそ、結婚という契約を自分達のものにできるのではないかと、今は思う。
孤独を知らない人間同士が結婚に執着してしまうと、それはきっとうまくいかない。
もしくは、うまくいくように勉強していかないといけない。
時には離れながら、孤独を知りながら。
一人でいる事は、ある意味結婚よりも贅沢なのかもしれない。
子供がいると、さらに結婚生活の中で孤独になれる時間はなくなる。
夫婦の時間を持とうというが、本当は一人の時間をお互いに持つ事こそが、大切なのではないだろうか。
忙しい生活の中で、夫との愛や執着に苦しんで、自分を見失っていたあの頃、常に誰かといたけれど、私は幸せではなかった。
孤独を越えて、毎日が平和で愛おしい日々が来るよと、あの頃の私に言ってあげたい。
もしも次また誰かと共に生活するような事があるのなら、お互いの孤独を尊重し合える関係でありたいなと思う。
(予定は全くないが)
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