教員迷子 共闘〜学級崩壊立て直しへ〜
2008年夏。
教員採用試験に落選した。その時、代替え教員を募集しているという知らせを知った。それが、「非常勤・臨時的任用講師」の募集だ。
当時、落選した俺は心の何処かで「どっかから声がかかってくるだろう」と思っていた。教育実習で手応えを確かに感じたのだから、きっと何処かから誘いが来ると思っていた。
2009年3月31日。
養成校に入学してから始めた教育ボランティアをしている時だった。
普段鳴らない携帯電話が鳴り出した。
翌日、俺はある学校へ面接に行った。
そして、4月6日から始まる新たな生活。
今度は「教員」として、戦いが始まる。オーケイ。わかってるさ。今度は、教育実習のようなヘマはしない。
始業式が始まり、学生の頃とは全く違う日々が過ぎ去っていった。毎週のように入ってくる研修。そして、一般社会では「社長」と呼ばれる校長の下で、色々教わった。
例えば、整理整頓の一つとして、机の上の管理だ。周りの先生はどちらかと言うと、きちんとしているとは言えないが、自分はそうなってはいけないと厳しく言われたことがあった。それだけではなく、字が汚いと何度も書き直しをさせられたこともあった。
そのおかげで、同僚からは仲間はずれにされることなく共に戦って行くことができた。保護者の父親の会でも同じようにイジられることで仲に入ることができた。
”イジられる”というポジションを得たことで、校長も同僚も保護者も子供も安心していることはわかっていた。俺が生き延びるにはこれしかない。
慌ただしい春が終わり、夏になった。保護者との交流の一つで、バンドを組むことになった。前からやっていたベースをまたやることになったのは驚きだ。しかし、子供を楽しませるなら、それもまたいいと思った。なりふり構っていられない。俺はがむしゃらに自分の正義を貫こうとした。
1年目の冬頃、俺は校長室に呼び出された。すると、「クラスが荒れていて助けが欲しい」と。俺に断る理由がなかったので、引き受けることにした。ただし、条件付きだ。算数は校長が担当し、国語は教頭が担当するという条件で始まった。
そして。荒れに荒れていたクラスをもち、悪化させることなく進級させることができた。俺は失敗しなかった。教室に向かう前に校長から「今日だけ算数と国語もやって」と言われたことがある。理由を聞くと、PTAとの会議が入っているからだという。その依頼にも笑顔で応えた。
荒れに荒れていたクラスだったが、やりとりをしていてふと感じたのが、「俺のことをわかってくれよ!」という注目の反抗だったり、「さみしいから構って」という補完だったりしていた。俺は「なんとなくそうだろうな」という分析と、情報をとにかく集めて「だからそうだよな」という洞察にまで落とし込んだ。
そのおかげで、3月の修了式には荒れていた子たちが泣いていた。
色々あったが、この時のことを聞かれれば自分でも驚くぐらい全く答えられない。嘘でも「楽しかった」と言えればいいのだろうが、それを俺の脳が否定をする。結局は苦笑いをしながら「まぁ、なんとかなったかな」と。