教員迷子 ー序章ー
2013年のこと。
僕は教員をこの年に辞めて、新しい生き方を模索すればよかった。陰りという"限界"が見えたからだ。それを感じながら結局何も出来なかった。
"新しい授業"を構築する教育ができなかったからだ。それとなく過ごす日々。
私立小学校という環境の下、毎日の授業。土曜も勤務し、日曜は研修という憩いの休みがなく進んだ。多い時で250連勤ということがあった。
しかし、いつかは終わるものだ。
そして、その連勤は少なくなり、勤務することすらなくなることを確信していた。
なぜなら、教員として結果を残すことで授業機会を獲得してきた俺が授業で結果を出せなくなったからだ。
それだけでない。
授業に自信をもてなくなった。
それなのに、簡単に捨てることができず、3年間も続けてしまった。
「授業の魅力とは何ですか?」
いつだったか、研修でそんな質問が出た。尊敬する講師たちがどう答えたか覚えていないが、今の俺が言えることは「分析と洞察ができること」と答えるだろう。
小学生の頃、毎日受けていた授業なのだが、いつしか「勉強しよう」とは思わなくなってしまった。
おもしろくなくなったわけではない。
授業を分析するようになったからだ。
「あの発言は、その次の質問に繋がっている」
「発言をいかに少なくして、テンポを上げている」
「なるほどな、ここでこういう話をすれば食いつくんだろうな」
素人ながら、中学時代は高校に入るための勉強よりも、学校や塾の先生の授業を分析していた。
自ら導き出したモノが果たしてそうなっているか、
自分がやろうとしていることが正しいのか、
など、自分は"普通"とされていることへの否定が始まった。
セミナーや研修、多くの本を書いている教師は言った。
「辞めるなよ」「逃げるなよ」「戦えよ」
全くそうだと思う。
辞めなければいい。
逃げなければいい。
戦うといい。
その本質を教員は理解しているだろう。
しかし、現実はひどく残酷で、上っ面のこの言葉の理解である。
「そういう俺はどうなのか?」
自分に問い始めた。
悪夢の始まりだった。
あるサークルに所属するようになった後輩がある時、雑誌に名前と論文が載った。
それは、以前に俺が言っていた理論だった。その雑誌に、自薦として送った論文は、かすりもせずに落選。最悪だった。
飛び込み授業として、あちこちの教室で授業をし、子供らは集中し、授業にのめり込んで、そして技能を身につけるようになった。
だから、授業は続けることができたのだと思う。
続けることで、何か見出すことができたのだろうか?
「金を稼ぐために授業や学級経営をする」のであれば、もっと効率よくできたのではないのか。
2018年3月23日、
俺は教壇から去り、教員を辞職した。
全て終わったわけではない。自分と向き合うことから逃げて、辞めて、戦わなかった結果が今の俺だ。
全て自分の責任である。
その全てを晒し、間違いを正すことで、前に進める。
そう決めてこれを執筆した。
書くのが辛く、すごく痛い。
思い出すだけで心が痛い。
そこに対して、自分と向き合うことが本当に辛い。
でも、これから書いていきたいと思う。
俺は、逃げない、辞めない、戦う。
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