興味散漫で飽き性な凝り性。
私は昔から欲しいものがあれば、気に入ったものが見つかるまでどこまでも探し回る人間であった。
例えば、新しい靴が欲しくなった時。
まず、一番近くの靴屋に行き物色する。いいなと思った靴が仮に見つかったとしても、そこではまず買わない。他にもっといい靴との出会いがあるかもしれないと思ってしまうからだ。
店を出て次に向かうのは、家から二番目に近い靴屋。再び一通り店内を回って、今度はスポーツ量品店へ。
さすがの品揃えに胸をときめかせつつ、他のスポーツ量品店を見てみたくなり、さらにもう一軒。
最終的には時間が許す限り何軒も店を回り、その中で最終的に一番気に入った靴を買う。
なんとも効率が悪い買い物である。
思い返すとこの行動は子供のころからしていた。母親は、靴を試し、納得がいかない顔をする娘を見ては、「じゃあ、もう一軒行ってみる?」と私のわがままに付き合ってくれた。
その後、自由に使えるお金を手にできる年になり、友人と買い物にいくようになって知ったのだが、どうやら世の中の人の買い物はもう少しラフでスマートなようである。
靴を買うとしたら一軒目、もしくは2軒目の靴屋で試して買う。
あまりにもあっさり購入を決める友人に、
「え?ほんとにそれでいいの?他も行こうか?全然付き合うよ?」
と動揺しながら聞く私に
「いやいや、そこまでしなくていいよ。これで十分!」
と満足そうに答える友人。
その時、自分の買い物がいかに遠回りであり、労力をかけてしまっているかを知ったのだ。
そして自分はあまりにも面倒臭い娘であったことを思い知り、心の中で母親に謝罪したのである。
さらに私は興味散漫でもある。
これまでも読書、アクセサリー作り、お笑い、ラジオ、コスメ、スケボー・・・と、とにかく気になったものがあれば、手を出してきた。
つまり私は興味散漫、飽き性で凝り性な人間のようである。
なんともめんどくさい奴である。
そしてそんな私が次に手を出したのがこのnoteである。
果たして今回の興味は続くのであろうか。飽き性が顔を出さず、どうか続いてほしいと願っている。
(自己紹介と言いながら、名前も言わない奇怪な文章を書いてしまいました。最初からすべてをさらけ出すのは恥ずかしいのです。どうか、読んでいくうちに少しずつ知ってもらえれば幸いです。)
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