自分で自分の責任を取る方法
Youtubeを見るのは好きですが、登録している同じ方のものばかり見てしまいます。
そのなかに「シークエンスはやとも」さんという、心霊第七世代と名乗るお笑いピン芸人のかたがいらっしゃるのですが、ご存じでしょうか?
はやともさんは、子どもの頃から、他人には見えない霊的なものが見えることで苦労をなさってきたそうです。また、自分の見えているもの(その人についている生霊だとか死霊だとか)と、その人の行動やその後などを多数見てきて、自分なりの考えかたが形成されてきたとのこと。
深い内容の「考察動画」を多数アップされていて、私は共感することが多く、少しずつ追いかけて拝見しています。(登録してからまだ半年程度なので、追いかけ切れてません)
どれも感想文を書きたくなるくらい考えさせられる内容なのですが、今日はこちらを一つご紹介します。
「意味を求める意味」
こちらの動画によると、自分の身に起きた事象などについて、他人に意味を求める行為は「自分にとって言い訳を作るため」であるとのこと。
心霊などが見えない(私も含めた)人間が、見える人に対して見解を求めるというのは、あまりにも一般的な行動です。
テレビ番組などで心霊系の人が呼ばれると、
あることが起こりました。
さてこれはどういう意味なのでしょうか?
と、「意味」を求められるのが常だと思います。この段階では、人間の求知欲求を満たしたい程度の話でしょう。
しかしそのようなノリで、自分自身に起こった出来事の「意味」を、他の人に求めてしまうとする。
教えてもらった意味をもとに、のちに成功しました。
しかしその成功は、人から言われた情報をもとにしているので、本当の意味で自分自身に帰依しない。
教えてもらった意味をもとに行動し、失敗しました。
その場合、自分に責任はない。自分ではわかり得なかった、人から教えられた情報をもとにしているから。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
はやともさんはおそらく、人が見えないものを見るが故に、アドバイスを求められてはその人の糧にならなかったという経験を、たくさんされているのではないかと想像しました。
そしておっしゃいます。
経験や出来事に対して、意味を感じ取ったり、考えることは決して悪いことではない、間違いでもない。
ただし、その答えを他人に求めてはダメ。
いつまで経っても自分自身の充足感には繋がらない。
きっかけを回りから与えられるのは良いが、その後は自分で考えて行動しましょう。
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これは、きっと占いの世界でも通じることなのではと、想像します。
noteをはじめてから、占いや人の心に寄り添うお仕事をされていらっしゃる方と知り合うことができました。
私も少し前に、友人にタロットをしてもらいました。そして星マリアさんのイーチンオラクルカードを入手しました(気軽に一枚引く、という域にはまだ達していませんが)。
占いをされる方は、引いたカードを見て、一生懸命「こういうことではないか」という話をしてくださいます。
問題はそのあと。
聞いた内容を自分で消化して行動するのか?
「こう言われたから」何も考えずに鵜呑みにして行動するのか?
自分自身の行動に責任を取りたいのなら、
自分ごととするのなら、
自分の頭で考え、責任を引き受けるという生き方が、結局は自分のためになるんだなと思わずにはいられません。
人に意見を委ねるというのは、もう本当にラクです。
ボケ〜っとしているだけでいいんです。
私もラクなのは好きだし、だらけてしまうこともしばしば。
ただ、それだけでは前に進んでいかないんですよね。
はやともさんの考察動画を見ながら、そんなことを考えていた土曜日の午後でした。