「月が綺麗ですね」 (宇宙資源と法律を巡る雑談)
「交際している彼女に、クリスマスにプロポーズをしようと思っている。」
ほぼ2年ぶりに会った友人と、丸の内で中華を食べていた時の話だ。机に設置されたコロナ感染拡大防止のアクリル板越しでもはっきりと聞こえた友人の報告に、僕は目を丸くした。
彼は大学時代の友人で、某証券会社に勤めている。学部卒で社会人になっているので、社会人歴は僕よりも長い。
「M&Aアドバイザリー部にいるから、案件で一緒になったらよろしく!」などと言われて早4年経つが、案件で一緒どころか、働いている雰囲気すら感じさせないような男で、インスタグラムは常に飲み会のストーリーが更新されていた(ただ、学生時代からいつ勉強しているのか分からないのに成績だけは良い天才型の人間だったので、きっとそつなくうまく働いているのだろう。)。二言目には「結婚なんてせーへん。」と言い出すような人だったので、驚きである。
「いやいや、半年前くらいまで緊急事態宣言が明けたら夜遊び三昧だ、とか言ってなかったっけ?」
「運命の人を見つけてん。」
相変わらず食べるのが遅い彼は、もうすっかり冷めているであろう酸辣湯をレンゲでぐるぐるとかき混ぜながら、ニヤニヤしている。僕はというと、好物の麻婆豆腐はもう20分以上前には食べ終わっており、もう何杯もお水を飲みながら、彼が酸辣湯スープを飲み干すのを待っていた。
「プロポーズの言葉は決めたの?」
これだけ結婚を避けていた男がいったいどんな言葉で永遠の愛を誓うのか興味があった。
「「月が綺麗ですね。」にするわ。」
いや、それは伝わらないのではないだろうか。
そもそも、その台詞は漱石流の"I love you"の婉曲表現であって、"結婚してください"とは意味が違う気がするのだが、気がついているのだろうか。
……顔が笑っていないので、冗談ではないのかもしれない。
「クリスマスにな、貯金をはたいて、指輪と、月の土地を贈ろうと思うんよ。」
「おお。いいね。」
「プロポーズの言葉と「月」をかけてんねん。」
そうでしょうね。
「月の土地って、一昔前のパロディ的なやつ(?)だよね。実際に買おうとしている人、初めて見たよ。」
確かに、指輪とは別に、記念に月の土地を贈るというのであれば、パロディであっても嬉しいかもしれない。身を乗り出しアクリル板越しにスマートフォンの画面を見せてくる。彼の手元のスープがこぼれやしないかと気になる。
「見てみ。1エーカーから買えんねん。1エーカーって分かるか?くまのプーが住んでいる森が100エーカーだから、その100分の1や。」
"こてこて"の関西人の彼は、ボケているつもりなのか、本気なのか分からないときがある。1エーカーというのは約4000平方メートル、サッカーグラウンド1つ分の広さのようである。結構広いな。
「1エーカーあたり約3000円やって。これ、不動産投資としても破格やで。10エーカーくらい買おうかな。」
月で何するつもりなの?
「月の土地を指輪と一緒に贈ること自体は良いアイデアだと思うんだけど、月の土地ってパロディで、実際には自分のものにはならないと思うんだけど。」
つい口を挟んでしまった。なんだか知識をひけらかすようで、そして浮いた話に水を刺すようで、少し後悔する。
「むっちゃドヤ顔するやん。宇宙条約やろ。それくらい調べたわ。宇宙条約が禁止しているのは、"national appropriation"であって、私人の取得は禁止してないやろ。」
ドヤ顔はしていないはずだが、そんなところまで調べていたとは。
宇宙活動を取り巻く国際ルールのうち、「宇宙の憲法」とも呼ばれているものが「宇宙条約」だ。
彼の言うことは正しい。条文の文言上、宇宙条約が明確に禁止をしているのは"national appropriation"であって、私人による所有権の取得ではない。実際に、月の土地を売買しているような企業は、この点を捉えて、私人による月面の所有権は否定されないと整理しているのだろう、きっと。
「日本は締結してへんけど、月協定では自然人による月の土地の所有も明確に禁止してるわけで、この記載と比較すると、宇宙条約では、私人による土地の所有権取得は禁止されていないと読めるんちゃうん。」
めちゃくちゃ予習してきてる。気持ち悪いぞこいつ。さては議論をふっかけるつもりだったな。
彼は、もうどう見ても冷めきっているスープにラー油を数滴落とし、器ごと持ち上げてズルズルと啜っている。
先ほどから仕事用のスマートフォンには複数のメールの受信通知が来ていた。正直、このあたりで切り上げて、作業に戻りたいなと思いつつ、始まってしまった議論と、目の前の友人のスープの残量を見ると、まだ帰れそうにない。
「宇宙条約の規定はその通りなんだけど、国家の主権も及ばず、国家にも領有されていない月について、その土地の所有を私人が勝手に主張しても、法的な所有権は認められないんじゃないかな。」
「待ってくれ、所有権って国家の承認が必要やったんか。」
再びアクリル板越しに身を乗り出す。待ってくれ、もうそれ以上掘り下げなくて良いから、早くスープを飲んで会計をしよう。
「そんなこと習った覚えないんやけど。」
懐かしいな。そういえば、この男はロクに授業も出ないのに、ゼミだけは張り切って議論をしていた。そして、納得がいかないと、こんな風によく口を尖らせていた。
「うーん、たしかに、国家が承認する、みたいな言い回しでは習ってない気もするけど。所有権がどのように帰属して移転するかって、例えば、民法でどう定めるかみたいな制度設計の問題な気がするよ。そもそも「所有権」っていう権利自体が日本法の下に成立しているものだよね。その意味では、国家の承認というと仰々しいけど、国家が作ったルールの中ではじめて認められる権利なんじゃないかな。」
彼はおもむろに手元のiPhoneを手に取る。よく見ると最新型だ。
「俺のスマホは俺のものやけど、このスマホが俺のものであることについて、お国に承認いただいた覚えはないんやけど。」
「いや、それはそうでしょうよ、そんな個別に承認とったりしないでしょう(笑)。スマホの所有権は、私有財産制の下で、民法上の所有権の客体として認められているから保護されているっていうことじゃないかな。憲法29条の議論でも、財産権がいわゆる自然権的なものではないみたいな話もなかったっけ。すっかり忘れてしまったよ。」
彼はおもむろに鞄から基本法コンメンタールを取り出す。よく見ると「旧版」だ。
「ほんまやな。ほら。」
こいつ、気持ち悪いぞ。なんでそんなものを持ち歩いてるんだろうか。
「そうすると、結局は国家が承認している制度枠組みの中で認められないと、所有権は成立しないんやな。その意味で国家が承認が必要なんかね。」
「そもそも、国家が認めていない権利を持ち出しても、裁判でも争えないんじゃないか。良く考えると、当たり前な議論な気もするけど。」
「いやいや、ある利益が基本的人権として認められるかどうかは裁判所が判断する話で、国家が承認しておらず、法律に明文がないから権利じゃないっていうのはおかしいんちゃう。ほれ、不可や不可。勉強し直しーや。」
「うるさいなあ(笑)。そもそも国家が追認、承認っていうときの「国家」って何を指してるんだろう。分からなくなってきた。」
久しぶりに再会して、なんでこんな話をしているのだろうと思う。そういえば、彼女さんとの馴れ初めも聞いていない。写真も見たい。
「話がそれたけども。国家が承認したら、月面の土地の所有権は認められるってことやんな。」
「うーん。これは国家が承認をしたら所有権OK、しなかったらNGみたいに、国家に裁量を与えているわけではないよね。宇宙条約にしたがう限りは、私人の月の土地の所有権は、国家は追認できないから、どうあっても認められないんだと思うよ。仮に国内法で「月の土地の所有を認めます」みたいな法律を作っちゃったら、国際司法裁判所とかで負けちゃうんじゃないかな。宇宙条約6条にも国際的責任を負うって書いてあるし。条約に反する国内法の効力って、なんか論点あったよね。」
「統治は苦手や。」
そう言えば、統治の単位だけ落としてたなこの人。
「それはそうと……」と、水を頼む彼。いいから早くスープ飲めよ。
「土地の所有権って、そもそも開発、開拓した人のものって発想にはならんの?」
「いや、もう哲学の話じゃんそれ。「ならんの?」と聞かれてもわからんけど(笑)。ジョン・ロックの私有財産制みたいな発想だよね。人が労働を加えた物はその人の私有財産になるってやつ。」
「まあ、考え方の方向性としてさ、そういうルールにしておかんと、民間企業とか国家は宇宙開発やる気なくならん?開拓しても自分たちの土地にならんって。金儲けもできひんやん。」
「それは宇宙開発ができる技術や経済力のある国や私人の立場の意見としては真っ当な主張だけど、そうじゃない国からすると困るよね。開発競争に晒されてしまうという点で、健全な開発が進められるのかという点も問題だし。宇宙条約1条が宇宙活動の自由のみならず、宇宙が全ての国の利益のために(for the benefit and in the interests of all countries)利用されることを求めてるのはそういう背景もあるんじゃないかな。」
「ん〜、それなら、宇宙条約も月協定も批准していない国で会社作って月面の土地の所有を主張したらええんちゃう?」
何が「ええんちゃう」なのか分からないが、確かに宇宙条約や月協定を締結していない国が、今後宇宙開発に本格参入をして、月面の所有を主張した場合にどうなるのかという点は良く分からない。
宇宙条約の締結国は100ヶ国以上が締結しているが、月協定の締結国は18ヶ国くらいだったはずだ(月協定は、宇宙開発国の多くが締結しておらず、実際には機能していないと言われている。)。宇宙開発を行なっている国はほぼ全て宇宙条約に締結をしているので、実際にこの問題が顕在化する可能性は高くないかもしれないが、理屈としては十分に問題となる。締結国の国民が、非締結国に法人を作り、非締結国の法人として、月面探査を開始し、月の土地の所有を主張するようなケースもあるかもしれない。
うーん、あながち屁理屈ではないのか。締結国は、自国の国民が非締結国で行う宇宙開発に関しても、監督する国際法的責任を負うのだろうか。
宇宙活動に関する条約の起草は、宇宙空間平和利用委員会(通称:COPUOS)が行う。このCOPUOS、設立された当初(1958年)には24ヶ国しか加盟国がいなかったが、現在は95ヶ国が加盟する大所帯である。そして困ったことに、COPUOSは条約の起草につき、全会一致原則を採用している。宇宙開発をめぐっては、今のやりとりのように、各国で利害関係が対立する状況になってしまっており、今後、条約レベルでルールを作るのは困難ではないかと言われている。実際に、1979年に採択された月協定以降、宇宙に関する条約は作成されていない。
「ちょ、おい、なに考え込んでんねん。なんか喋れや。」
「あ、ごめん。」
「まあ、ええわ。」
プーアル茶を啜る。ねえ、スープ飲まないの?
「ほんなら、代わりに月の石を渡したいな。ロマンチックやし。」
なぜそこまで月にこだわるのか理解不能であるが、それは(採取して持ち帰ることができれば、少なくとも法的には)可能である。
「ちょうど、今年の6月に宇宙資源法なるものができたからね。それはまあ、法律上は可能なんじゃないかな。プロポーズには間に合わないと思うけど(笑)。」
この法律は宇宙資源の私人による所有権を認めた米国、ルクセンブルク、アラブ首長国連邦に次ぐ4番目の国内法として注目されている。これまでの議論のとおり、天体それ自体や天体の土地は所有権の対象にならないというのが通説ではあるが、「天体から採取した資源」の所有は条約上も禁止されていないのではという立場も有力であった。宇宙資源法はこの論点に対する日本の立場を明らかにした画期的な法律である。
「これよう分からんのやけど、はやぶさ2のサンプルリターンとかはどうしてたん?宇宙資源法できる前よな。」
知らんよ(笑)、と言いかけたが、確かにどういう整理だったのかは気になるところである。
「まあ、民法の原則に戻ると、所有の意思を持って占有すれば所有権は取得できるのかね。あと、科学的な調査であれば宇宙条約上も問題ないと整理できるかも。」
「さっきの議論だと、国際法的にも天体の資源の私人による所有は宇宙条約でも禁止されていないっていう説がそれなりに有力やったんよな。んで、民法239条があると。そうすると、そもそも宇宙資源法なくても、天体の資源の所有権は民法で認められたんちゃう。」
「んんん?そうなるのか?」
「知らんけど。」
関西の人は「知らんけど。」とよく言う。慣れるまでは冷たい感じがして少し苦手な表現だったが、「断言できないけど」程度の意味しかないことを今は知っている。ちなみに「どうでもいい」みたいなニュアンスを伝えるときは、「知らんし」とか「知らん」と言うことが多い。これは、末尾の「けど」の存在が大事なのだ。多分。
ズズズーっという音と共に、酸辣湯スープが飲み干された。
時間は20時。事務所に戻ってメールを返して、22時過ぎには家でゆっくりアマプラを見たい。遅ればせながら、バチェラー・ジャパンを見ている。推しはのんちゃんだ。
「少し気が早いけど、良い彼女が見つかっておめでとう。プロポーズ、うまくいくといいね。とりあえず、仮の前祝いでここはごちそうするよ。」
そう言って席を立とうとする僕を遮って彼は大声で店員を呼んだ。
「ありがとう!ごち!ほんなら、麻婆豆腐と青椒肉絲と杏仁豆腐追加で!」
ああ、今晩は仕事ができそうにない。
終わりに
はじめまして、弁護士の大島日向と申します。
普段は、M&Aコーポレートを中心とする企業法務を担当させていただきつつ、スタートアップの資金調達等のお手伝いや、宇宙ビジネス関連の企業さんのお手伝いもさせていただいております。
法務アドベントカレンダーというものをご紹介いただき、なんだか面白そうだったので、山辺先生からバトンをいただき、書いたことのないブログ記事を書かせていただきました。
※なお、上記は全てフィクションであり、法的な見解は独自のもので、所属するいかなる団体・事務所の見解ではありません。
こんなニッチな話に需要があるとは思えないのですが、錚々たる顔ぶれの先生方にまじって1つの記事を書かせていただくことができ、2021年の締めに良い機会でした。これを機に宇宙と法律にほんのりとでも興味を持ってくれる方が嬉しいです。その際は、ぜひ、拙著をご贔屓によろしくお願いします。
それでは皆様、良いクリスマスを。
明日、最終回は@msut1076さんです!
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大島 日向 Hinata Oshima
弁護士:第一東京弁護士会 / 中村・角田・松本法律事務所
Twitter:@Hinata_SpaceLaw