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バラナシ見聞録② -死と日常-
バラナシには北と南に2つ火葬場がある。
私は両方に足を運んだ。
仕事柄、ご遺体を目にすることには慣れているが、こんなにもオープンに死が日常に溶けている風景は衝撃的だった。
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その場には野犬、羊、ヤギがうろつき、火葬場の職員がせっせと火を起こしている。その横で子供が凧をあげて遊んでいる。ガートの階段に腰掛けて、チャイを啜りながら見物する地元の方も大勢...
ご遺族は白い衣を身につけているため判別できるが、表情から感情を読み取ることが難しいくらいに淡々と火葬の準備を行い、火葬が始まったらじっとご遺体を見つめている。
日本でこのような火葬ができるとは思えないが「死への免疫」という観点でこれだけ日常に死が溶けている状態は人間にとっていい状態なのかもしれない。
日本と比べて不衛生な環境で、交通も非常に危険な状態のため、はじめは命が軽いような印象を持ったが、数日インドに滞在する中で、死が常に視界にあるからこそ、生の実感を持って生きているのではないかと思った。
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私も時々、「生きそびれて(=命を消費していまい、浪費できていない状態)」いるような感覚に襲われることがある。死との対峙だけでその状態から脱却できるわけでもないが、生きる事そのものを目的にする事に抵抗し、何らかがトリガーとなって「生き切って」いる感覚を取り戻すことでこれまで生きてきた。
そのトリガーが何なのかは自分でも把握できていないが、そのヒントがインドにあるような気がしてならない。これもまた、今後またインドに赴く時に頭の片隅に置きたいテーマとして記録とする。