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【#AroAce自分史】自認するまでの経緯と自認してからことを簡単に振り返ってみた

Aro/Ace、いや、アセクシュアルという言葉に出会ったのが確か5年ほど前だっただろうか。
その言葉を知ってから、自分のセクシュアリティや恋愛・性にゆっくりと向き合ってきた。今でも自分にぴったり当てはまるセクシュアリティははっきりしないままだが、なんとなく今の段階では「Aro/Ace」が一番しっくりきているため、それを自認するに至っている。

Aro/Ace=アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム
=アロマンティックやアセクシュアルに関連する多様なセクシュアリティの総称

三宅大二郎、今徳はる香、神林麻衣、中村健 『いちばんやさしいアロマンティック・アセクシュアルのこと』 明石書店 2024

今回、X(旧Twitter)の方で、「#AroAce自分史」というタグをつけて、Aro/Aceに関連する自分史を投稿するというキャンペーンが始まっている。
それに便乗させていただき、自分のこれまでのことを簡単に振り返ろうと思う。

AroAce自分史

#AroAce自分史 のタグを追っていると、ほとんどの方がライフステージごとに書かれていたため、自分もそのスタイルで書かせていただくことにする。

小学生

セクシュアリティについて考えることはなく、当然のように家族や学校から扱われる性別を受け入れていた。また、同級生に恋愛感情を抱いたことはなかったが、「自分は男だから、きっと女の子を好きになるのだろう」と漠然と考えていた。

学校では、性別での区別をよくなされるため、私自身周りの友達や大人に対し男女の区別はしていたが、日常生活ではあまり性別を意識することはなかった。
クラスメイトは、高学年になるにつれて異性と遊ぶことを避ける傾向にあったが、「性別を理由に遊ばない」というのが全く理解できず、違和感をもっていた。
そのため、自分は変わらず性別問わず誰とでも遊んでいたし、女の子グループの中で遊ぶことも多々あった。そして、なぜか自分はクラスメイトからちょっと変わった特別な存在だという認識になっていたのか、異性の友達と遊ぶことを受け入れられていたと思う。

中学生~大学生

中学から大学まで大きな変化がないので、まとめて書くことにする。

いわゆる思春期という時期に当たるが、特に性的なことや恋愛に興味を持つこともなく10年過ごしたと思う。勉強や読書に多くの時間を費やしていた。
吃音症(スムーズに発話するのが難しい障害)を気にしており、恋愛よりも自分の方に関心が強く向いていた。うまく話せないことで自信を無くし、このまま大人になって働けるのだろうかという将来への不安でいっぱいになっていたたように思う。それゆえ、当時の自分はセクシュアリティについて違和感を抱く余裕すらなかった。

とはいえ、ぼんやりと「恋愛したほうがいいのだろうか」と思うこともあった。いいところを見つけては「この人のこと好きかも」と思い込もうとする傾向があった気がする。ただ今振り返ると、それは恋愛感情ではなかったなという感覚がある。漠然とした恋愛への憧れや「この年齢なら恋愛くらいしないと」という義務感で人を好きになろうとしていただけだったように思う。

社会人(20代)

大学卒業後もずっと吃音症がコンプレックスになっており、それが一番の関心事だった。しかし、大学4年生のころから関わっていた吃音の自助グループで交流を続けていたおかげか、社会人5年目くらいから少しずつ吃音の悩みから解き放たれてきた。

転職を数回行い、居心地が良いと思える職場に巡り合えた。そこで少しずつ吃音の悩みも消えていき、仕事にも自信がついてきてやりがいを感じながら働けるようになった。心に余裕がでてきた頃、職場での同僚同士の会話に違和感を抱くようになり始めた。9割以上が男性の職場ということもあってか、ホモフォビア的な会話を頻繁に耳にすることがあった。
「男だったら○○が好きだよな」「それ、男らしくないぞ」「男同士なんだから恥ずかしくないだろ」などの言葉が飛び交っており、そのノリについていけない自分を自覚し始めた。
今まで吃音の問題で悩んでいて、無意識に見て見ぬふりをしていたジェンダーやセクシュアリティの問題を強く意識するきっかけとなった。
ホモソーシャルをしんどいと感じるようになったことを機に、LGBTQについて調べるようになった。

色々と調べていくうちに、Xジェンダーやアセクシュアルという言葉に出会い、自認するようになった。
Xジェンダーを自認したのは、自分の性別も相手の性別も気にしたくない(はっきりと男女で分けたくない)という気持ちが強かったからである。また、特定の人に恋愛感情を抱いたり、性的に惹かれたりという経験もなかったので、そこから「自分はアセクシュアルかも」と思うようになった。

アセクシュアルというセクシュアリティにしっくりきてはいたものの、「特定のパートナーともに人生を歩みたい!」という気持ちが強くあった。様々な本を読むうちに、パートナーと生きることでより人生が豊かになるような気がしていたからだ。しかし、「パートナーを作るには”恋愛”をしなければならない」と思い、ずっと疑問に感じていた「恋愛感情とはなにか」ということを本を読んだり友達から話を聞いたりしてひたすら考えた。

恋愛感情について考えているときに、ひとつの大きな転機があった。
恋愛をテーマにした哲学カフェに参加したときのことだ。それに参加しておられた既婚者の方から次のような話を聞いた。
「私はどうしても子どもが欲しくて、結婚するという選択をした。パートナーに対してロマンティックな感情を抱いているわけではないけれど、一緒にいて居心地がいいし、なにより子どもと一緒に入れる毎日がすごく幸せ」(話の内容は一部改変しています)と言うのだ。
その話が自分にとってはすごく衝撃的だった。なぜなら、それまで結婚するには恋愛感情や性的な惹かれが必要だと考えていたからである。

「人生を共にするパートナーに対して必ず恋愛感情を抱かなければならない」と思い込んでいた自分にとって、あの方の言葉には勝手に勇気づけられたのは今でもよく覚えている。
これを機に、恋愛感情や性的惹かれは置いておいて、「自分がパートナーとどういう人生を歩みたいのか」という軸でパートナー探しをするようになった。

社会人(30代、現在)

現在、マッチングアプリで知り合った同性のパートナーと同棲をしている。
それまで3名の方とお付き合いさせていただいた。性別にこだわりはなかったため、これまでお付き合いした方の性別は様々である。
最初に付き合った方とは、交際が始まったその日に「手をつなぎたい」と言われたが、自分はどうしても手をつなぎたいと思えず断ってしまった。「これから関係が深まっていけば手をつなげるようになると思う」という話を何度かしたが、結局相手の方は手をつなげるようになるまで待ちきれず、「私は普通の恋愛がしたい」と言われ、別れることになった。当時、”普通の恋愛”という言葉に大きなダメージを受けていたが、今思うとあの別れは仕方がなかったことだろう。自分が思い描く理想の恋愛(恋愛感情や手をつなぐなどの身体接触を伴う愛情表現がなくとも恋人になれる)があるように、相手にも理想の恋愛像があるのだ。自分の思いを優先して頑なに手をつながなかった自分は相手を十分に思いやれていなかった。この経験は今のパートナーと良好な関係を築くのに役立っているのではないかと思う。

現在のパートナーとは付き合って約2年半、同棲してもう少しで2年になる。
今でも恋愛感情が何なのか、はっきりとは分からない。それでも、パートナーと今後の人生を一緒に歩んでいきたいという気持ちは強く持っている。自分がアロマンティック・アセクシャルなのか、それともパンロマンティックやデミロマンティックなのかはよくわからないが、とりあえずまだ曖昧なままでいいと思っている。

しかしながら、恋愛感情があるとははっきり言えないし、私の友人知人が語る恋愛感情の定義に共感できないことが多いので、Aro/Aceを自認するのが一番しっくりきている。

おわりに

Aro/Aceの概念自体が割と最近のものであり、自認している方が少なく、ロールモデルとなる人ががほとんどいない、という状況である。そういう意味でも、なぜAro/Aceを自認するようになったのか、どういう人生を歩んできたのかを今後も発信し続けたい。「パートナーと生きる覚悟を決めたAro/Ace一人として参考にしていただければ嬉しい。

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