共に夜明けを待っていたい
眠れない夜はいっそのこと限界まで起きていることにしている。
そして夜明けに陽が昇ること必ず夜は明けることを実感する。
いくら苦しくても必ず、朝は来る。
昨夜も上手く眠れなかったね。
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2022年6月、片思いしていた相手にフラれた。
「上手く行きそう」と舞い上がっていた矢先だった。私もり2つ歳上の獅子座のお兄さんだった。
上手く行かなかった。慣れないお酒を飲んだ。かなり飲んだ。
泣きながらスペース配信していた。その「飲み会スペース」はとても楽しかった。深夜になった。参加してくれたフォロワーさんはみんな寝てしまった。寂しくなった。
こんな大人にはなりたくなかった。お酒が楽しいばかりではなかった。
21歳の梅雨。私は初めて孤独を感じた。
スペースを立て直した。
5分程度するとフォロワーさんが入室してくれた。
年齢が1個下の男の子だ。
この子は春から彼女さんと付き合っていて、投稿も仲睦まじい写真がアップされていた。
「ちょっとやけ酒で飲みすぎちゃって気持ち悪い」
私がそう話すとDMで「2日酔いの対処法」が書かれたサイトを送ってくれた。牛乳を飲むといいらしい。心が痛かった。優しかった。泣いた。
「今何してるの?」
と聞いたら
「今?たけのこの里食べてる」
と言われた。たけのこの里。深夜のお菓子は罪深い。
私は人の幸せ話が聞きたかった。彼の惚気話を聞き出した。
「彼女と同棲することになった☺️」
と言われた。絵に描いたような幸せカップルだと思った。
その夜は一晩中彼がどうしようもない私の配信に付き合ってくれた。何度かトイレとも往復した。そして私は後に何度もこの夜に救われることになる。
翌月。私は6月にフラれた相手とは別のお相手と交際を始めることになる。
それからは夜通し配信に付き合ってくれた彼とはお互いに惚気話や相談をし合うようになった。
私が恋人と交際して1年が経った頃突然その彼と連絡が取れなくなった。メインのアカウントの更新は止まり気持ちの奥底を綴っていた彼のサブアカウントも削除されていた。
とても心配した。半年間心配し続けた。何かあったんだろう。だけどそっとしておいた方がいいんだろうな。そう思い私は私の生活に集中していた。
2024年1月
友達のアドバイスにより私は彼に日常の出来事を定期的にInstagramのDMに送ることにした。
本当に些細な内容だった。
「年末は恋人とデートしたよ」だとか「今日はこんなものを食べたよ」「恋人の近くに引っ越すことになった!」「1人暮らし始めた!」「ツーリング行った!」「就活大変💦」など。
送信して、何日か経って彼から既読が付いたら任務完了。
私はこの一方的なDMを「音信不通な友達の生存確認チャレンジ」と呼んでいた。
6月。私のバイト終わりの夕方に彼はスペースを配信していた。大慌てで入室した。
「久しぶり…。おかえり…。元気だった…??」
あの時の私の声は嬉しさと感動と心配で震えていたように思う。
「いやー久しぶりだね〜。ちょっと精神病んじゃってこのアカウントしばらくログアウトしていたんだよね」
私は彼に心配していたこと、ずっと話せる日を待っていたこと、久しぶりに話せて嬉しいことを伝えた。
「えぇ〜!ごめんねぇ。ありがとうー!」
と言われた。
その後近況報告をし合った。
彼女さんとはお別れしてしまったこと
現在は実家で暮らしていること
バイトをしながらのんびり暮らせていること
を話してくれた。
LINE交換をした。
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翌月。7月。
私は失恋した。
どうしようもなかった。
だけどお酒は飲まなかった。もう二日酔いなんて馬鹿な真似はしたくなかった。
8月。私は実は別人格だったことを思い出した。
基本人格が3年ぶりに戻ってきた。
寂しかった。だけど見て見ぬふりをし続けたから仕方ないなとも思った。
基本人格が地元に戻ることを決めた。
それ以来基本人格が彼と連絡を取ることになった。
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10月。彼が私の地元に会いに来てくれた。
私は裏から様子を覗いていた。穏やかだった。
会いたかった。
あの夜、私が壊れた夜。一晩中配信に付き合ってくれたから私は彼が壊れた時は救おうと決めていた。だから彼が壊れた時私はDMを送り続けた。
あの夜がなかったら私たちは会うことはなかったと思う。全ての出来事がちゃんと繋がってることを感じた。
まさに伏線回収だ。
これから彼とどういう関係に転がるかはまた別のお話。
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さぁもうすぐ陽も昇る。
また夜が明ける。
眠れない夜に少しばかりの愛を。
元主人格 奈桜🌸