見出し画像

数学は美しいのか

数学は美しいという人がいますが皆さんはどう思いますか?
中学生の頃に「美しくなければ数学ではない」が口癖の数学の先生がいました。その先生は話し方が独特だったので今振り返ってみても変わった方だなと感じます。

現在僕は理学部で自然科学を勉強しています。
もう3年生も後期になったので、中学生の頃と比べると多くのことを身につけました。
当時は数学の美しさなんて考えたことすらありませんでしたが自然現象に隠れている数式、別の数学の概念の共通した性質などを知るにつれ数学に神秘性や美しいという感想を覚えるようになってきました。
はっきり言って今の僕は数学が美しいと思っています

いろいろ美しいエピソードはあるのですが、特に関数とベクトルの関係にはびっくりしました。
本題から逸れるので詳しくは語りませんが、無限次元までのベクトルは波を表す関数の和であらわすことができるというものです。
この関数とベクトルの関係は量子力学を勉強していても見ることができて、シュレディンガーの波動力学とハイゼンベルクの行列力学は同じことを表現していると知ったとき酷く驚いたのを憶えています。
なるほど線形代数という本で勉強しているときにこのような記述があったので以下に紹介しておきます。

僕が数学を美しいと思う理由はただの操作や表現方法でしかない数学が正確に自然現象を表現して物理学を成り立たせている点にあります。
しかしこの美しさは科学を脅かしているのではないかと思ってこの記事を書き始めました。

街の中で暮らしているとつい忘れてしまいますが、僕達人間は自然に対してあまりにも無力です。
人間の意思と自然は全く無関係に存在しており、意思で自然現象を操作できる事実は現在見つかっていません。
多くの場合人間にとって自然はコントロールできるものではなく受け入れるものです。
そんな偉大な自然に対して、美しいと思うのは勝手ですが、美しくなければならないという態度はあまりにも不遜でしょう。

初学者の僕が偉そうに言うのは気が引けますが科学は事実に対して謙虚であるべきです。
僕たちは自然現象に対して様々な感情が生まれてきますが、ある自然現象を美しさを感じる対象にすることは少し乱暴な気がします。
自然は人間の美的感覚すらも凌駕していて、悠然としているからこそ自然だと思います。
だから僕達が自然に対して向き合うとき、そこに意思や感情は存在せず、ただそのときの事実のみを黙々と積み重ねることが真に科学と言えるのではないでしょうか。

先程のベクトルと関数の例ですが、もともと2つは別々に発展した考え方です。
この2つが同じことを表現できたのはたまたまで、しかもそれらが電子のような量子の挙動を説明するのに使えたのもたまたまです。
そこに何かしら運命的なものや美しさのような恣意的な意見を持ち出すのは、かえって自然対して失礼であると僕は思います。
自然を説明する科学はこのような美しさの感覚を振り払ってこそ科学になるのではないでしょうか。


表紙はこの方の作成したものをお借りしました。


その方のYouTubeチャンネルです。



いいなと思ったら応援しよう!