40代からの読書方法
最近、読みたいと思う本が変わってきました。それも過去に手に入れてもういらないなと思った本が改めてほしくなってしまうという奇妙な現象が多くあります。
30代までの頃、まだまだ世の中には自分の知らないことがたくさんあって、とにかくどんどん吸収していかないといけないのだ!と思っていました。本屋さんにいけば、魅力的なタイトルのビジネス書が並び、さらに次から次へと話題の新刊も発売されています。(この話題の新刊ってチープな褒め言葉ですね)。
しかし、それが40代になると一変してきました。大きな成果を出している人は、知識をたくさん得てそれをたくさん使う、というよりも、知識同士の考え方や見方、結びつけ方がうまいんだなと感じています。だから、新しい知識を得るだけにどんどん新刊を追っかけるというよりも、一つの書物と身の回りのこととの差分を深く観察することが重要だと思うように比重が変わってきたという感じです。
ふと本から顔を上げて周りを見回してみると、すごく優秀な人というのは物知りなだけではなく、実行力があったり、人を動かす力があったり、とにかく「能動的」なのですね。つまり、私は「受動的」な読書方法っていうものがダメなんじゃないかと思うようになったわけです。
これはもっと早くに気がつけたかと思うと、そんなことはできなかったかもしれませんが、もっと早く気がつく人はいるのだろうと思います。
40代からの読書方法としていま大切に思っていることは、「能動的読書」です。これまでの受動的な読書と何が違うのかというと、それは本との関わり方になります。
「受動的読書」としての本は、作者の文脈に沿って、世の中をなぞり、何が正しいのか何が違うのかを理解していくことで、新たな知見を得るもの。
一方で、「能動的読書」としての本は、私に文脈があって、その文脈をなぞりながら、本に書かれたことを情報として捉え、私がその情報を活用することによって、新たな経験を得るもの。
という捉え方をしています。私が主体になるということです。
世の中の事実について、解釈をしているのはいつも自分です。意味付けもすべて自分の価値観です。たとえ、他人の価値観を学んだとしても、それを学んで解釈するのは自分自身であるので、結局は自分の見方になるわけです。そう考えると、本を読んでできる限りその人がいうことを理解しようとすることは、それほど自分を成長させることではないなと思うようになりました。むしろ自分の中の問いを先鋭化しておくことのほうが、重要な気がしてきたということです。
まあ、40代にしてようやくお前気がついたのかよ、と言われてしまえばそのとおりなんですけれども、もしかしたらこういったことを考えたことのない誰かの目に留まりお役に立てたら幸いです。
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