「ドロボー」なんて言わないで!2才相手に苛立ってしまった『親としての私』
今回は、ありがちな「おもちゃの取り合い」から考えた話。
児童センターでの出来事
児童センターで遊んでいたときのこと。
息子がおもちゃの車で遊ぼうとすると、近くにいた2才の男の子が「ダメ!」と叫んだ。
「ダメ!」「ドロボーー!!」
実際には使っていなかったけれど、その子の中では遊んでいる途中だったらしい。息子から車を取り返し、近くにあったおもちゃを急いで自分のまわりに寄せ集める。
その後、自分の遠くにあった積み木をひとつ拾って、息子に渡してくれた。
私「これ、ドーゾしてくれるの?」
子「ウンッ」
息子は嬉しそうに積み木を受け取り、遊び始めた。
おもちゃの取り合い・・・というほど取り合ったわけではなく、たまたまその子が使いたかったおもちゃを息子が手にとっただけ。
ありがちな、本当によくある出来事。
保育士としての自分、親としての自分
2才かぁ、と考える。
まだまだ全部「ジブンノ」にしたいよなぁ。でもそれじゃダメなのはわかってるし、渡してあげたい気持ちもきっとある。だから、自分がいらないものの中からドーゾしてくれたんだろうなぁ。すごいなぁ。
そう思ったのは『保育士』の自分。本当はその前に「ドロボー?うちの子になんて言い方するんよ!」と『親』な自分が反応してしまった。
正直に告白すると、ものすごくイラッとした。相手は2才の子どもなのに。発達上そういう時期なのはわかっているし、同じような場面を数え切れないくらい見てきているのに。おもちゃの取り合いとか押されたりとかどんどん経験してほしいと思ってるし、普段は落ち着いて見守っていられるのに。
「ドロボー」ってフレーズが、私の中でどうしても許せなかったらしい。その子なりの「取らないで」の表現なのはわかっているのに。
その場は笑顔で「そっか、今使ってたんだね」と言えたし解決したのだけれど、自分の中ではモヤモヤ。反省。
制御できない感情は、私が親だからかもしれない
出産してから1年5ヶ月が経とうとしているけど、自分が『親』という自覚はイマイチない。
「我が子ってどんな感覚なんだろう」って、未だに思っている。
でも子育てをしていると、こうやってふと制御できない感情に出会うことがあって。自分でもよくわからないくらい息子のことが大切で愛おしくて、発達とか理屈とか全部すっ飛ばして「うちの子に害をなすものは許せない」というような、そんな感覚。
それこそが私が親になった証なのかもしれない。
理屈を知っていることで助けられることもあるけれど、でも子育てって理屈だけじゃやってけない。もっと勉強して、もっといろんな気持ちを知って、人としても保育士としても成長してから復帰できたらいいなぁ、なんて。
※ブログ「ヒナスイッチ」 2018年9月13日の記事を移動しました