自分を好きになりたい
私の心の弱さについて、自分の中で再認識したら
何か変わるかなと思い記していきたいと思います。
かなり暗い文になってしまっているので猫ちゃんの写真がいくつかあります。
人と比べてしまうこと
なにかと人と比べてしまう人少なくないんじゃないでしょうか。
辛いですよね。
課題を達成出来ても自分より上手くできる人がいると思ってしまう。出来なかったら「他の人より劣ってるいるから」「努力が足りないから」「努力できない私はダメな人間だ」と考えてしまう。
最近気づいたのですが、基準値を高く見誤っているんですよね。周りの人は私より明らかに出来ていて、その中で「なんで私はこうも出来ないんだろう。」と自分を責めてしまう。
新しいバイトとかいい例ではないでしょうか。
私より経験があるから周りの人が私よりできることは明らかなのに、私が出来ない人間だからって考えてしまう。みんなだって最初はできていなかったハズなのに。
大学にいけば周りの女の子が可愛く見えて、きっとこの子は私より要領が良くて、勉強ができてって過大評価をしてしまい、自分がいかにダメなのかを考え始めてしまう。
「案外みんな出来ていない」ってマインド大事かもしれないです。
コンプレックス
私、容姿全部がコンプレックスなんです。顔だとかお腹だとか姿勢だとか。
常にマイナス点だと考えています。綺麗な方は常に80点を上回っていて、私は毎日プラス値に持っていくために頑張るんですが、周りの人にはそれでは努力が足りないって思われてるんじゃないかって自分の努力を認めることが出来なくて、頑張らなきゃっておもってたら、疲れてきちゃって何も出来ない。っていうことがよくあります。
私が20頑張ってもせいぜい15点。綺麗な人が20頑張ったら120点。だから可愛い子よりも努力しないといけない。
この考え方は誰かに押し付けられてるわけでもなく、自分自身が自分を押し付けるための考え方なんです。私は可愛くないから調子に乗っちゃダメだって考え方をするんです。
自分だけの考え方なのに「なんでこんな理不尽なの」って思ってしまい何も頑張れなくて頑張れない自分を否定しての負のループが始まってしまうんです。
こうやって卑屈に考えていくと段々自分の性格まで苦手になってきて、自分の好きなところが堂々といえなくなってしまっていました。
卑屈な考え方って分かっているのにその考え方を辞めない性格もダメだなって思います。
いじられ役になった経験
卑屈的な考え方の根底にあるのは多分中学あたりの経験だと思ってます。
その時は私の可愛いの基準とかけ離れた体型をしていました。今でもそうなんですけど。
所謂いじられ役で、辛い時があったんです。
かなり辛くて私が1番可愛くないから、いじられちゃうんだと思うしか無かったし、事実だったような気もします。
その環境を「いじられてる」で片付ける私側にも問題があったなと今でも思います。
その時の考え方が今でも根底にあり、「まとも」にしないとって鏡を見ることが多いです。
いじりっていじめまでいかないからタチが悪いですよ。
本人も自分の感情に気づけないから大きな問題にならない。
小中学生はとくにいじられ役側が自分の感情に気づけないと思います。後からかなり深いところに傷が出来てしまっていた。なんてことよくあると思います。
あの時は「可愛くなくても周りは私と友達でいてくれるんだ」って考えてました。その反面、「なんで私がこんなに言われないといけないんだ」って思うところもあったんです。
ただその本当の気持ちが表に出てきてくれなくて、悲しいと思えないんです。
ただいじられて、嫌な気持ちになってるって後から気づいた時には、「言葉に責任をもたないといけないな」って思うようになりました。知らないうちに誰かを傷つけているかもしれない。
自分を好きになるために
卑屈的な考え方ばっかで人生終えたくないじゃないですか。他人と比較するって多分悪い面ばかりじゃないと思っているんです。でも私には悪い影響しか出ていない。私は私って思えるようになる努力をしたいなと思っています。
・他人と比べず努力をする
他人の努力は他人の努力。私の努力は私の努力。
私が頑張ったことは事実だということを受け止めて、諦めず努力したいなと思っています。
・Instagramを頻繁に見ない
すぐ人と比較する癖にInstagramでかわいい女の子を見て、参考にしようって考えるんです。見たところで私の努力ってこの子と比べたら0に等しいんだなって比べてしまっていたら参考以前の問題ですよ。
最近はInstagramのおすすめに犬をたくさん出そうと犬の投稿ばかり見ています。
・自分が嫌なら嫌でいい
いつか好きになれる。
好きになれる為に努力を。
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