【#幻想商人】ジオードの内側【#雛杜雪乃 / Vtuber / #雪のあーと】
「ティアドロップ……と言うものを、知っていますか?」
どこからか、オルゴールの音が聞こえる。緊張で硬く凝り固まった耳朶(じだ)が、湯にふやかされたように柔く、ゆったりとほどけていった。
こわばっていたまぶたが開き、瞳がようやく見たものを受け入れて、目の前にあるものと、自分が置かれた状況を理解した。
そう、確か私は……何かがあって、思わずこの店へと駆け込んだんだった。それが何だったのか、この店は何の店だったのか思い出すことが出来ない。水中でぼやけた視界のように、像も輪郭も、ぼやけてあやふやだ。
私は、アンティーク調の椅子に座っていた。使い込まれた一方、ていねいに手入れがされているのか目立った傷跡は全て塗装によって埋められている。手製と思わしきキルトのクッションが背もたれとの間に挟まれ、硬い質感が伝わらないように配慮されていた。
店主と思しき人物は、あたりまえのことのように落ち着いている。慣れた手つきでティーポットから蒸し布を外し、茶こしで零れた茶葉を受け止めながら紅茶を注ぐ。ほのかに香るやわらかな香りが心地いい。
彼は優しく微笑んで、私へとティーセットを差し出した。
「紅茶をどうぞ。温かいものを飲むと、少し気持ちが落ち着きますよ」
少し混乱しながらも、ティーセットを手元へ寄せる。お礼の言葉を発しようとして、口の中がカラカラに乾いていることに気がついた。小さく会釈をしてから、火傷しないようにゆっくりと口をつけた。
喉を潤す私を見て、店主は変わらず嬉しそうに微笑みをたたえている。と、思い出したように喋り始めた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕は雛杜雪乃。ここは幻想の品を取り扱う商店であり、工房です。先程話にあげようとしたティアドロップ……しずく型の宝石を作っています」
そこまで話したところで、彼も自身のティーカップへと紅茶を注いだ。自分の事だからか仕草は少し乱雑で、カップの縁へと雫が跳ねる。彼はそれに気付いたのだろう、視線だけが一瞬動き、しかしそのままティーカップを持ち上げた。
「この店はいわゆる隠れ家的なもので、基本的には看板も出していませんし、開店もしていません。それでもあなたがここにたどり着いたということは、相応の理由があったのだと思います。違いますか?」
彼は猫舌なのか、湯気のたつカップに息を吐きかけて冷ます。彼の顔を見る余裕すらなく、手に収まるカップの表面が波立つ。うつむいた先では自身の紅茶が光を反射して、しかめ面で、今にも泣き出してしまいそうな自分の顔を映しだしていた。
醜くて、悲痛で、滑稽で、哀れだった。
彼はティーカップを置き、言葉を続ける。
「その様子だと、お客様……ということで間違いなさそうですね。
ようこそ、雛杜宝飾店へ。僕はオーナーの雛杜雪乃……服装からもじって、シスター雛杜なんて呼ぶ人もいますね」
場の空気を明るくしようとしたのか、彼は口を開いて穏やかで明るい声色を発する。さっきまでは余裕がなかったので認識出来ていなかったけれど、確かに彼の格好は……シスター……?
なんだろう、原型は確かにそうなのかもしれないが、装飾品や腹部の穴とか、デコルテ見せだったりとか、あまりに清純さとはかけ離れた改造を施されているせいで、まさかシスター服だとは認識出来なかった。名付けた人も、いっそ冗談で言ったのだというのなら納得がいくくらいには。
思わず彼の全身をまじまじと眺めてしまった。謝罪の言葉を口にしながら、うつむき加減に視線を逸らす。……逸らした先の横腹まで開いていて、あげく彫り込みまでされているのは予想外だったけれど。
彼は含むように笑って、にこやかに語る。
「ふふふ、いいんですよ。僕もシスターって柄じゃないのは分かっていますから。
そもそも、僕は無条件に誰にでも優しい……それこそ、神の僕であることには向きませんからね。こう見えて結構、人柄の選り好みが激しいので」
さて、と言葉を区切り、彼は話を続ける。それはこの店で取り扱う宝飾品……特別なティアドロップについての説明だった。
「さて、当店で取り扱う宝石は、お客様の為にカットした、唯一無二のオーダー品です。オーダー品とはいっても、その形状や色、大きさなどは指定する事は出来ません。全て、お客様のヒアリングを踏まえた上で適切な物をご提供させていただきます」
彼はそう言うと、身に付けていたチェーンから一つの十字架を外す。金属製に見えていたが、中心には小ぶりなティアドロップが光にかざすとわずかに向こう側が透けて見えた。しかし、純度はさほどでも無いのか内部には雲のような濁り、さらに内側から針のようなものが結晶化している。
「……中身、あんまり綺麗じゃないでしょう。これは僕自身から作ったものなんです」
彼は遠い目をして、十字架の中心を見つめる。結晶であるはずの中身が何かを訴えるように揺らめいた気がした。彼はそれを眺めた後、改まってこちらを見つめる。
「先ほど僕はこの宝石の事をオーダー品といいましたが、それでは少し言葉足らずです。この宝石は幻想の品で、実在しないもの――つまり、寂しさや悲しみを形にしたモノなんです」
彼は十字架をチェーンへと戻し、私の瞳を見つめた。とっさに目をそらそうとして……そらせない。部屋の隅々からハンドベルのようなささやき声が鳴り響き、間接照明に照らされた明るさだった部屋が闇に飲まれるように暗がりへと変わる。視界の端で、何かが私を覗き込んでいる気がした。
心の隙間に、波打つ感情の水面に細長い粘液が滑り込む感覚がする。それは、私の中で少しずつ形となって、存在感を顕(あらわ)にしていた。
「結晶は、遠くないうちに出来上がると思います。邪魔と思って砕くのか、忘がたいものとして秘め続けるのか、思い出として飾るのか。
それは、あなたの自由です。
ーーそれは形を持ったもの。触れられるもので、あなたにどうにか出来るものです」
忘れないでくださいねと、彼は言った。
部屋の片隅のショーケースにもいくつかの宝石が飾られている。しかし、そちらはしずく型とは違い華の形を模しており、虹のように七色の輝きを放っていた。それぞれにはネームプレートが備え付けられているが、暗くなってしまった視界では読むことは出来なかった。
ほほ笑みながら別れを告げる彼の手の中には、七色の蓮華が花開いていた。