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【四周年記念】テケリ・リ・デリバリーサービス【雛杜雪乃 / Vtuber / 短編小説】

 その日、呼び出された場所は、いつもの隣室――雛杜雪乃の部屋ではなかった。
 私たちの家から歩いて行けるほどの雑居ビル。彼曰く、出会って四年目のその日は少しだけ襟を正して私と話したかった……らしい。それを伝えられたのはいつも通り彼の部屋に遊びに行っているときで、相変わらず小洒落た料理を山盛りで作っている最中だったので、その真意がどれほどのモノかは分からなかった。
 彼の言う通り、いくらも歩かないうちにその場所に着いた。今年も蒸し暑い熱帯夜だが、扉の外に漏れだす冷房の空気と、彼がいつもつけている、甘さの底に煙たい香りのする香水がささくれ立った気分を落ち着けてくれた。
 外装はちょっとした喫茶店のようであった。木目調とタイル張りを模した外観に、アンティーク調の外灯が周囲を照らす。玄関先には「テケリ・リ・デリバリーサービス」と刻まれた看板がかけられていた。
 インターホンは無い。代わりに、触手じみたドアノッカーが取り付けられていた。妙な納得と、安心感があった。彼らしいと内心ひと笑いして、触れてみて気が付く。粘度の高い滑らかな質感、形状は金属の触手とそのものなのに、握りこもうとすると液体のように逃げる。
 これは、「本物」だ。
 触手の内側から小さな目玉が浮き上がった。エメラルドのような光彩をこちらに向けると、数度瞬きをして沈み込む。触れていたドアノッカーの質感が金属のものに変わった。確かに、インターホンよりもよっぽど間違いのないセキュリティだと苦笑を浮かべる。
 ドアノッカーを数度叩く。重い金属音に応えるように、中から彼の声がした。

「はーい、どうぞお入りください」

 ドアを開く。香る空気がふわりと流れ出して、私を包み込んだ。
 室内は異国情緒溢れる、雑然とした商店そのものだった。いくばくかの商品棚と、天井からも様々な品物がつり下がっている。そういったものの奥に、彼は立っていた。

「いらっしゃいませ。ようそこ、テケリ・リ・デリバリーサービスへ」

 彼はいつものように微笑んだ。しかし、身にまとう衣装は見慣れないものだった。
 大きく開いた胸元と、逃がした目線を待ち構えるへそ出し衣装。男性らしさの際立つ手の甲を隠すレースの黒い手袋と、くすみカラーの衣装が対照的だった。
 半身のほとんどを触手柄が覆う姿は、正しく彼専用の中華服……といったところだ。

「ごちゃごちゃしていてすみません。まだ人を呼ぶ予定じゃなかったので、 店内が少し散らかっていて……応接室はまだくつろげると思うので、良ければそちらで座っていてください。僕もすぐ行きますから」

 彼は忙しなく動き回りながら口を動かす。指先は入口のすぐ近くを指しており、隣室へのドアが見て取れた。
 私はその部屋に入る。通されたのはシックな応接室だ。ソファーとテーブル以外に物は少なく、壁にいくつか風景画やアクセサリーを額に収めたものが掛けられている。
 落ち着いたモスグリーンの座面が、優しく私を包み込む。柔らかで適度な形をもつ、素敵なソファだ。細部には相変わらずツタに擬態させた触手模様が彫り込まれており、所々木の実に見える目玉模様がある。……多分、コレも「本物」なんだろうなと、確信に近い感情を抱く。触れると彫り込まれた模様が若干動くし。もしかしたらくすぐったいのかもしれない。
 そうして少しの間室内を観察していると、入ってきたドアがノックされる。間を置かず雪乃さんが部屋に入ってきて、待たせたことを詫びてくれた。

「すみません、大変お待たせ致しました。一応こっちは副業としてやっているので、どうにも手が回らない部分がありまして」

 彼はそういいながら、持ってきたティーセットを手際よく並べる。並べられたカップも見慣れないもので、独特な意匠が施されたアンティーク物のように見えた。
 淹れられたのは甘い香りのするフレーバーティー。さわやかな紅茶の香りの中に、ほのかに蜂蜜の匂いが香る。ポットの中で踊るマリーゴールドの花が美しい。

「僕のお気に入りの茶葉なんです。皆さんも買えるものなので、気に入ったら試してみてくださいね」

 そう言って、彼はローマの海神の名前を口にした。もしかしたら、今までの配信の中でもどこかで口に出していたかもしれない。だとしたら、彼が常飲しているものなんだろう。
 注ぎ終わったティーカップが目の前に置かれる。好きなように入れてくださいと、ミルクと砂糖代わりの蜂蜜が並べられた。

「さて、今日はご足労いただいてありがとうございます。今日はいくつか理由があって、僕の大事なユキノフィリアさんであるキミをお呼びしました。沢山あるので聞いていただくのにちょっとお時間がかかりますが、出来れば最後までお聞きください」

 彼は座り直して、そう言った。今更彼との間柄で何かということもないが、こういう雰囲気を出されると少しばかり緊張する。

「一つは一足先に中華服のお披露目。今年で出会って四周年を迎えるということで、新しくイラストレーターさんに立ち姿を描いてもらいまして、それを基にこうして衣装を構築してみました」

 人差し指をピンと立てて、似合っていますか? と彼はほほ笑んだ。大きく開いた胸元や、ちらりと見えるへそ出し衣装に触手のボディータトゥー。繊細なレースの手袋に、クラゲのように柔らかで可愛らしいウルフヘアー。とっても、彼らしい。

「今はジャケット風の上着ですが、外商に行くときにはファーのついたコートっぽいものを着ていくんです。そちらは配信でお披露目の際にお見せするので、その時をお楽しみにお待ちくださいね」

 丸いサングラス越しに目が細められる。私を含め、ユキノフィリアと呼ばれる隣人たちに何かをするとき、こうしてイタズラっぽく笑うのだ。

「二つ目は看板の変更です。来ていただいたときにも気付いたかもしれませんが、前までは「(株)テケリ・リ・デリバリーサービス」という屋号でやっていたのですが、皆さんの世界には僕の会社ってないじゃないですか? なので、法律上問題があったので、屋号を改めると同時に、せっかくだからお店のご紹介をしてしまおうといった訳です」

 人差し指に続き、中指がまっすぐに立てられる。

「えーっと、あとは……所信表明は配信でやりますし、今回はご要望がない限りグッズ化の予定もありませんから……」

 彼は眉間にしわを寄せながらうんうんと唸りながら考え事をして、口元を手で覆い、反対の手の指先で宙を回す。それが彼の中で考え事をするときの癖なのだろう。
 彼は指先を二、三周してから、ハッとして両手を叩く。

「そうだ。それと、僕自身の事とこの話し合いの席の話を少ししようと思ったんでした」

 思い出せたのがよほど爽快だったのか、先ほどまで曇っていた表情から花が咲いたように明るくなる。声色からもよく感じる事ではあるが、表情が動きやすい人だ。その割にはうさん臭さはずっと抜けないけれど。

「僕、去年のお誕生日で色々な事を思い出したじゃないですか。今までは自分自身の生い立ちの話ですとか、ショゴスとの関係性、年齢を重ねない理由。そういった人間らしくない不都合な部分に、目を背けていたわけです」

 そのせいでキミにも複雑な思いを抱かせてしまっていましたよね。と頭を下げた。彼は深々と謝罪の意を示した後、顔を上げて言葉を続ける。

「ですが、それももうおしまいです。人間であると名乗ることは今後もやめませんが、ある意味体質ともいえるこの身体の事にも折り合いをつけていく予定ですから、これからは好きなように言っていただいて構いませんからね」

 人間を自称するかどうかは別として、控えめに言って、彼の体質はもはや人間とはほど遠い。神格が入った身体に、多くの人間たちを材料とした原ショゴスの肉体、それらを統括する雛杜雪乃という一個人の意識。彼自身がどこかで見付けてきた記録によれば、それらを西洋式の神格化儀式――三位一体を模した人造神格として祀り上げるつもりだったというのだから、なんとも壮大な話である。
 彼は複雑そうな私の顔を眺めて、気を緩めて笑う。

「そんなにこわばった顔をしなくても大丈夫ですよ。結局のところ、僕が僕であることは変わりませんし、やることも変わりませんから」

 目じりと眉尻を下げて、気の抜けた子犬のような顔で笑う。眼鏡を外せば妖艶なこの瞳も、この時には柔和な雰囲気を感じさせる。
 鈴を転がすような笑い方でひとしきり笑った後、彼は仕切り直しの為にそれで、と言った。先ほどまで柔和に崩れていた目はうっすらと開き、私の事をじっと見つめる。

「ですが、やれることは増えました」

 アーモンド形の目をうっすらと開けて、琥珀色の瞳で、触手が揺蕩う白目で、私を見つめる。

「僕の中にいる沢山の人々の記憶を引っぱり出す事と、自身の肉体の一部であると理解したショゴス。そして、それが変性できるということも、ね?」

 ソファーの彫刻が揺らめく。いつの間にか握りしてめていたアームレストが、手のひらの中でざわざわと揺れた。

「改めて所信表明で解説しますが、五周年目の僕の活動方針は、「届ける」にしようと思うんです」

 眼前のピンク色の髪が揺れる。衣装と、腹部に刻まれた触手が滑るように形を変えて、彼の気分の高まりを表した。

「大切な事、どうしても伝えたいことは、僕自身の手でしっかりと届けたいなって」

 もしかしたら、今までもそうだったかもしれませんけどね、と彼は笑った。目は細められたまま。

「キミは、記憶というものをどれほど信じていますか?」

 とっさの質問に答えられず、逡巡で目が泳ぐ。泳いだ先で、エメラルド色の光彩と目が合った。

「ずっと思っていたんですよ。配信での伝達手段や、メディア媒体を使った伝達方法には、認識の誤差や解釈の違いが現れてしまうものだって。
 それ自体は仕方がない事なんですよ? だって、人間というものはそのコミュニケーション手段を選択して、進化してきたわけですから」

 とても楽しそうに、彼は笑う。背筋から血の気が引くような悪寒とは対照的に、ここ最近で一番の笑顔を見せる。それが、私の顔をジッととらえる。捕らえて、離さない。

「でもね、キミもそうなってしまうのは嫌なんです。いいえ、ずっとずっと嫌だったんです。諦めたくないテーマだったんですよ」

 だってキミは、ユキノ、フィリアですからと、彼は言った。

「だから、せめてキミには直接伝えることにしました。小さな小さなショゴスをキミに潜り込ませて、ここに来るまでと、来てからの一連の出来事を記憶として海馬と、そこに繋がったショゴスに記録してもらいました」

 彼は私の顔に……いや、頭に、手を伸ばす。大切な器を持ち上げるように、ギリギリ触れない場所に手を据えた。眼前がノイズのように光る。光の破片が宙を舞うように広がり、徐々に密度を増していく。

「事後承諾でごめんなさい。ですが、これで、大切なユキノフィリアさん達にちゃんと届けられます。
 大丈夫。痛みもなく、触れられた感覚だって、残るのか分かりません。もしかしたら、自分で触れたと誤認するかもしれません。そういうのは、体質によりますからね」

 目の前で、彼の唇が薄く開いて息を吸った。

「これからは大事なことは僕の手で――「記憶」として、お届けしますね」


 私に、感覚が、あった。

ヘッダーillustrator:小椰 様

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