【短編小説】ハートを射止めて【雛杜雪乃 / ヤンデレ / 監禁】
薄ぼんやりとした意識の中、少しの酔いと今まで感じたことが無いような不快感と頭痛が、頭と胸元でぐるぐると渦を巻く。
昨晩は深酒をしてしまったのかと記憶を辿りながらも、まずは意識をはっきりさせようと腰をあげる。
━━そう行動しようとしたところで、手首と足首から金属音が発せられ、俺の行動は制限される。
「手錠……?!」
音の発生源を見れば、自分の手首と足首には赤い革製の拘束具が取り付けられている。内側には触り心地のいいファーが取り付けられており、ベッドの寝心地と相まって発見を遅らせた。これが金属製であれば、重量と金属特有の冷気で目を覚まして最初に気が付いただろう。
体に残る不快感は拭い去れないながらも、うっすらとした酩酊感と寝ぼけ眼が一気に覚めていく。
体の不調だなんだと言っている場合じゃない。現実離れした光景に混乱する頭を落ち着けるため、大きく鼻から息を吸い、意識しながら脳と身体中に酸素を行き渡らせる。
まだ十分に落ち着きは取り戻せないが、それでもかなりマシにはなっただろう。そう思える程度には体調も戻った。
そうして、辺りを見回せるようになって気付いたことがある。
「……女の子の部屋?」
自分が寝かされているベッドは全体的に薄ピンクや花柄を基調としたデザインで統一されている。部屋を見回せば内装も━━家具の数は少ないものの━━女性が生活している部屋のそれだ。生憎と、人生を通して女性関係に恵まれなかった為に細かく気が付くことは出来ないが、可愛らしいぬいぐるみの数々や化粧台、その上にやたら丁寧に並べられた化粧品の数々を見れば、恐らくこの部屋が女性の部屋だというのは想像できる。
しかし、そうなると不思議なことがある。
先ほども言ったとおり、俺は今までの生涯女性関係に恵まれたことはない。顔立ちも決して優れたものではなく、気弱な性格が災いしてか、精々いい人止まりだった。何か特筆して魅力的だと思える行動もとっていないはずだ。
そんな俺が、女性に監禁されるなど……よほど、独特な人柄なのだと思わなければ理解が出来なかった。
抵抗を止めて少ししたからだろうか、この部屋への唯一の出入り口が開く。
現れたのは、顔も知らない女性だった。
「お、おはようございます」
女性は、おどおどと怯えた様子で俺に声をかける。ややつり目なアーモンド型の目に、通った鼻筋。低くはない身長に一般的━━というか、むしろスタイルはややいいのだろうと想像が出来る見た目。気合いが入りすぎているのか、どう見ても家の中で着るべきではないだろう、よそ行きの服装だとか、寝不足で目元に消しきれていない隈が見え隠れしているだとか、毛先は整えたのだろうが全体的に若干潤いにかける髪だとか、不安で泳ぎがちな目だとか……一般的に欠点として挙げられそうな部分はいくらかある。
しかし、女性に批評が出来るほど得意でない俺には、おおよそ魅力的な人物に思えた。もちろん、監禁した犯人だろうという部分は考慮しないでの話になるが。
「……お前は誰だ」
口から出た声は、思わず自分でも眉を潜めるほど低く、警戒心に溢れた声だった。
「ひっ、あ、あの、ごめんなさい!!」
先ほどまでは泳ぎながらもチラチラと俺を見ていた目が、いよいよフローリングの方しか向かなくなった。
俺自身も驚かせてしまったようで妙な気分になる。が、それよりも、目の前の女性が恐怖に震える子供のように身を抱えて、頭頂部が見えるほど頭を下げているのがどうにも納得できない。
何せ俺は監禁されているのだ。犯人だと決め付けていたが、あまりに言動がその内容にそぐわないせいで、もしかしたら目の前の女性が犯人ではないのだろうとも思えてくる。
「ごめんなさいって……俺をこうやって拘束してるのはお前なんじゃないのか? そんな性格で、なんでこんなことをしたのかは分からないけど、謝るくらいなら俺を解放してくれ」
胸の中にたまっていた緊張感がため息と共に吐き出される。少し考えてみたが、やっぱり目の前の女性が俺を誘拐した犯人には思えない。
「……嫌、です。あなたの事は、絶対に解放してあげないので」
この先の事は、諦めてください。私があなたを監禁した犯人だと。彼女は、どう見ても震える唇と、蚊の鳴くようにか細い声でそう言ったのだ。
理解が出来ない。拘束しているにも関わらず、俺の事をまともに見つめ返せない女性が、自分の意思だけは強気に返すことが出来る。その言動の不一致が、俺には理解出来なかった。
その執念とも呼べるだろう熱意が俺の視線を奪ったのだろうか? 瞳を見返すと、彼女の表情が、口元が、声色が。それらが俺を溶かし尽くすような激しさを帯びているのを感じる。
「……悪いけど、俺は君に見覚えが無い。監禁犯だと言うことを除けば魅力的にも見える。こんなつまらない奴のために人生を棒に振るなんてもったいなさすぎる。だから、これは間違いだと思って━━」
「━━間違いなんかじゃないです!!」
絶叫が響き渡る。部屋中にあるものが小刻みに揺れ、呼吸を忘れるほどの叫びが、俺の鼓膜に叩きつけられる。
彼女は両手を握り締めて、深く呼吸をしている。普段は出さないだろう声量だったのだろう、幾度と無く咳をしながら一歩、また一歩と俺に近付いてくる。
二人分の体重を支えても、軋む音一つ立てないベッドはよほど頑丈なのだろうと、関係のないことを考える。そうでもしなければ、彼女の瞳を見つめ返すことが出来なかったから。
洞穴のようにぽっかりと、深海のように底が見えず、闇の中のようにほの暗い。そして何より、汗ばむような熱と体温が、俺を飲み込もうとのしかかる。
「間違いなんかじゃない。だって、だってその事は、誰よりもあなたが証明してくれた!!」
大丈夫、あなたもきっと分かるときが来るから。
彼女は、今までの印象を忘れさせるような芯の強い声と、溶かすようなあの瞳を俺一人に向けてそう言ったのだ。
そこから、俺の新しい人生が始まる。
朝起きれば隣で彼女が眠っている。朝には弱いのか、寝起きでボーッと開いた口が妙に艶かしい。彼女が俺の腕を枕にしていたせいで腕は痺れ、満足に動かすことが出来ないのが悔いるところである。
お陰さまで、寝ぼけ眼の彼女が作った朝食は、概ね俺の頬が食事をするところから始まるのだ。
彼女は基本的にフリーのライターか何かをしているようで、一日中家にいる。ごく稀に買い出しのために外出するがそれでも月に一度あるかどうか、のペースのようだ。
とはいえ暇をしているわけではないらしく、基本的なスケジュールを大きく外れない範囲で起床、食事、仕事、食事、仕事のルーチンで動いている。
一般的な社会人と違うところと言えば、合間に俺の世話が加わっていることだろう。
寝ぼけ眼だが俺を起こし、ベッドルームに拘束している為に不十分になってしまう生活を、彼女が管理しているのだ。
その間、俺はいくつも考え事をした。
俺はどんな職業についていた? 交遊関係は? 大切にしていたものは?
「くそっ!!」
手枷と、それに繋がる鎖が甲高い悲鳴を立てる。
呼び起こそうとした記憶は、何一つ思い出すことが出来ない。
何かを思い出そうとする度に、あの情と熱にまみれた瞳と、それに写る怯えるような瞳が頭をよぎる。ほんの少しの、違和感と一緒に。
……俺は一体、彼女に何をされたのだろうか。
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また、彼が部屋の中で暴れている。手枷も、足枷も。彼を拘束しているものは何一つとして彼を傷付けることはない。
━━その事は、私が誰よりも体感している。
この部屋にある全てのものは、彼が私の為に用意してくれたもの。
この部屋にある全ては、彼が私の為に使ってくれたもの。
この部屋も、維持するためのお金も、彼が私の為に周到に準備してくれたもの。
だから、それらを一つ一つ使う度に、この同居生活がどれほど念入りで、逃げ出しようもなく確固たるものにしているのかを感じる。
彼の『愛』を感じる。
愛なんて、陳腐で、使い尽くされて、手垢だらけで、醜くて、泥臭くて、エゴイズムだ。ずっと愛を冷笑してきた私だから、何よりもそれを知っている。
それでも、駄目なのだ。
この溢れ出る情と欲は、愛としか例えることが出来ない!!
「頼む、出来ることならするから! ここから出してくれ!!」
彼に、私は何もしていない。彼自身が私の為に全てを投げ捨ててくれたのだ。彼自身に何も残らないほどに、潔白になってしまうほどに。
今の、何も覚えていない彼には恐ろしい状況だろう。それでも、大丈夫。
「安心してください。あなたも直に分かります。だってあなたは私の胸に━━」
二度と抜けない、情動を射立てたのだから。