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出会って、弾いて、バイバイした1年

どうもこんにちは。
20歳をもうすぐ終了する前田妃奈です。
記念に、少し20歳のまとめでも書こうかと筆を取りました(正確にはスマホのメモアプリを開けました)。

本当にいろんなことがありました。
ヴィエニアフスキ国際コンクールから始まった20歳は、人生で1番濃い一年でした。思い出すだけで涙が出るくらい。

9月
誕生日当日、日本音コンで東京に来られていたピアノの田口友子先生に、サシで祝ってもらう。
コンクールに向けての準備期間として、2週間ほど演奏会などがない週を作ったが、全く準備が進まず焦る。さらに10月頭にシベリウスを控えていてそちらもやばくて焦る。
9月末に、紀尾井町サロンホールにて、マチネソワレでコンクールの曲を全部弾く。全く思う通りにいかず、コンサートの休憩中に号泣。もう全部辞めると決断する。帰りに諸田先生に送っていただいた時に「全部やめたーい」と言う。

9月 シャネル展に行った時の私

10月
前々日と前日で詰め込みをして、コンクールの課題曲とは別のシベリウスをなんとか弾き切る。先生方、マエストロ、オケの皆様ほんとに感謝。
その3日後、ヴィエニアフスキ国際コンクールへ出発。出発当日も授業とレッスンを受ける。大学に特大のスーツケースを持って現れる。当日を迎えてまでも、弾けてなさすぎて「本当に無理して行かなくていいんだよ」と言われる。海外逃亡をしたかった私は「まあ落ちたら落ちたでバカンスしてきます〜♪」と先生方の心配をよそに「やっと休める〜♪」と出発。
着いた日、留学している親友Nに「時差が一緒になったよぉ〜ん」と電話。私のテンションが高すぎて少しウザがられる。
コンクールのオープニングコンサートの冒頭で、ポーランド国歌の演奏があり、感動。ポーランド大好き😘ってなる。コンクールの今回のロゴが阪急とおんなじ色だなと思う。縁を感じる。
毎日毎日親友Nと電話。精神安定剤だった。演奏もたくさん聞いてもらってアドヴァイスをたくさんもらった。自信にもなった。ありがとうNちゃん。
優勝者ツアーの存在を知る。優勝した人大変だなぁと思う。
優勝する。1番最初にした心配はクレアールカルテットのこと。ツアーの日程によって帰国の日程を変えなければいけないこと。
ワルシャワのガラコンサートの次の日、見にきてくれたNと観光する。いい思い出。
ポーランドの皆様が優しくて、生まれて初めて自分のことを人間だと思った。

10月 ワルシャワの旧市街での私

11月
たまたま日本にいたタイミングで、本番3日前にブラームスの代奏が決まる。大阪での本番だったので、実質大阪の凱旋のようになり、昔お世話になっていた皆様が聴きにきてくれて嬉しかった。その本番の次の日から名古屋に入って、神尾先生や同世代のみなさまとの演奏会に出る。その4日後に、ツアーのためにポーランドに戻る。怒涛のヴィエニアフスキ2番。ヴィエニアフスキ2番を弾きたいがためだけにコンクールを受けた私が、この先ずーっとヴィエニアフスキ2番を弾けることになったんだと悟った。ポーランドの木が優しくて、癒された。

11月 大学の通学路での私

12月
ポーランドから始まった月。
ポーランドの各地を転々としながら演奏しては観光していった日々。このあたりで、出会う人が多いとバイバイする人も増えることに気づき悲しくなる。
日本に帰ってからは、同世代のみなさまとの演奏会が続き、もっと頑張らないとなと思ったと同時に、元気をもらった。
クリスマスイブ、先生のお宅でのクリスマスパーティーにご一緒させていただいた。プレゼント交換や美味しいパーティーフードもあり、初めてこんなに大勢のあったかいクリスマスを過ごした。次の日高尾山に登ると言うとかなり心配された。
クリスマス、麻子ちゃんと高尾山に登った。運動不足にはこたえたけど、初めて山登りをしたので嬉しかった。トリックアート美術館にもいって、温泉にも入った。そのあとは、新大久保で友達とサムギョプサルを食べた。ここら辺で、なかなか会えない友達に日本にいるうちにたくさん会っておこうと思うようになった。その次の日、久しぶりにプロフィール写真の撮影をした。メイクさんもカメラマンさんも、(そしてギャラリーも笑笑)知り合いで、ワイワイ撮影できて楽しかった!その後は久しぶりに祖父母の家に帰った。コンクールを祝ってもらった。

12月 トリックアート美術館で大はしゃぎの私

2023年1月
1月は日本でレッスンをたくさん受けながら過ごした。もちろん学校も行った。
お正月の高知では、だるま夕日を見ることに励んでたけどなかなか綺麗なのはあんまり見れなかった。無理言って振袖を着させてもらった。
プロフィール写真を選ぶ作業に苦戦した。たくさんいい写真ばかりで嬉しかった。
原田先生門下の発表会があった。毎年お正月明け恒例。バッハの2番コンチェルトを弾いたけど、3楽章が洗濯機のようになった。
末には静響さんと原田先生とでバッハの2番コンチェルトを弾いた。先生との共演は初めてだったけどすごくのびのび弾けた。

1月 なんてったって20歳ですからと振袖着てウハウハの私

2月
朝から麻子ちゃんと生田緑地や岡本太郎美術館に行ったりした。友達と会える時に会っておく意識がすごく強かった頃(今も強い)。
実技試験でチャイコフスキーを弾いた後、そのままドイツに飛んだ。その飛行機の中で、3年前、東京音コンの本選で念願叶ってチャイコフスキーを弾けることが決まった時に書いた、将来の自分へ宛てた手紙を何気なく開いた。「やっとやっとチャイコフスキーが弾ける!この手紙を読んでいる私は何回チャイコフスキー弾いてるかなぁ」という手紙に感涙。この2月には4回チャイコフスキーを弾いた。そんな時にこの手紙を開けたミラクルにも感激。
初めて1人でスイスからドイツまでの電車に乗った。初めてのおつかいみたいで緊張したけど、無事着けた時には、自分がレベルアップした気がした。
ドイツでは初めてオケの中に日本人の方がいらっしゃって安心した。とてもお世話になりました。コンスタンツという街がとってもとっても美しくて、湖に浮かぶ朝焼けや白鳥たちに癒された。
その後行った台湾では、『前田妃奈の夜』という名前の笑コンサートで、ヴィエニアフスキ2番とチャイコフスキーを弾いた。疲れたけどいい経験だった。

2月 コンスタンツのカーニバルではしゃぐ私

3月
日本で取材を受けまくった月。1日に3つインタビュー受けたら、もう自分が何を話しているのかよくわからなくなった。でもそれもいい経験。
末に控えたパリでのラロに向けてラロばっかり練習してた。神尾先生門下の発表会でもラロを弾いた(あと合奏でペールギュントも)。発表会では、全員がスーパーな子達ばっかりで、日本の将来は明るいなと思った。
久しぶり(中学卒業以来)に大阪の親友にも会った。これは快挙。
フランスでは、フランスにいる友達たちにいっぱい会った。凱旋門と虹のコンビネーションが見られた時は自分の晴れ女パワーを褒め称えた。フランスに行ったのは小3ぶりだったので、ほぼ初めての体験だった。

3月 パリと私

4月
人生初の南アメリカツアー。(5月まで)
パナマでは、日本人の方々にとても助けてもらった。本当にいてくださって良かった。サンコーチョが美味しかった。たくさん観光をして、演奏をした。ヴィエニアフスキ2番はパナマ初演だったんだって!
コロンビアでは、ボゴタは標高が高くて寒かった。英語でのインタビュー、元々質問事項が送られてきていたとはいえ、なかなかよく頑張ってこたえたと思う。英語漬けの日々の成果かも。コロンビアでは蟻を食べるんだって、信じられない!
絶対夜に1人出て歩かないでと強く言われていた。だから今でも私は、南米の夜にはゾンビでも出てるんじゃないかと思っている。

4月 パナマでビール飲み比べをしている私

5月
コロンビアからのブラジル。
コロンビアでは3日連続のリサイタルツアーがあった。毎日は流石に疲れるし、暑いしで大変だった。3日目のホテルにはミニフレンズがたくさんいて、なかなか眠れなかった。
その後のブラジルでは、ブラジリアとサンパウロに行った。ブラジリアは全然歩いている人がいなくて世界に私だけ取り残されたのかと思った。サンパウロでは、カードが使えなくなって、現金を両替するためにオフの1日を両替所探しに使ってしまった。靴擦れするし見つからないしで半泣きになりながらサンパウロを駆けまわって、最後は優しいお爺さんが助けてくれた。おじいさんありがとう。
この頃は少しトラブルがあるだけで絶望していた。つかれてたんだろうな、自分。
その後、ポーランドに戻った。
ポーランド航空でショパンが流れているだけで、あぁもう大丈夫だと思った。ポーランドでリサイタルを終えた後に見た、昼でも夜でもないあの空の藍色を、私は一生忘れない。あんな綺麗な色初めて見た。

5月 メロンソーダが嬉しい私

6月
久しぶりにカルテットを弾いた。
ハイドンはやっぱり難しい!けど、久しぶりに室内楽ができて嬉しかった。クレアールカルテットの皆さん、ありがとうございました。
中頃からはチェコとポーランドに行った。
チェコのオーケストラと、ポーランドのヴィエニアフスキフェスティバルのオープニングで演奏した。チェコから5時間かけて車で行って、弾いて、そのまま泊まらずにまた5時間かけて帰った。結構疲れた。ヴィエニアフスキの銅像に会えて嬉しかった。
チェコで見た景色は、本当に本当に素晴らしかった。ひなげしがたくさんで、ずっとお花畑の中を走っていて、四足歩行の動物が駆け回っていた。白鳥が家族で遊んでいた。本当に素晴らしかった。私がチェコで生まれ育っていたら、あの綺麗な景色をみんなに伝えるために画家になっていたと思う。

6月 ヴィエニアフスキとご対面の私

7月
Nとの演奏会があった。
昔から遊びで一緒に弾いたりはしていたけど、演奏会で一緒に弾くのは初めて。何回もあわせをして、衣食住を共にしてデュオを練習したのは、人生で初めてだった。Nとは10月にまた弾くから、その時も楽しみ。
人生で6回目のチャイコフスキーがあった。何回弾いてもいい曲!本番で肩当てが外れて大変だった。
そしてやっと、日本での凱旋コンサート。紀尾井ホールといずみホールという、これ以上ないホールでのリサイタル。コンクール前は80席のホールで弾いていたのに、1年も経たないうちに800席越えのホールで弾くなんて!
この演奏会で演奏以外に頑張ったことは、プログラムに載せた作文。コンクールのことからツアーのことまで、ぎゅーっと凝縮して書いたつもり。なかなか自分でもよく書けてると思ったし、みんな褒めてくれて嬉しかった。演奏前、何回も何回も読み返して自分の自信にしてステージに立った。これからもあの文章は何回も何回も読み直すと思う。

7月 パスタを撮っている友達を撮っている私

8月
なんだかバタバタしていた月。
イタリアに行って、ポーランドに行って、石川に行って、東京で弾いて、フィリピンに行って、韓国に飛んだ。
このツアーの中で1番過酷なのがこの8月9月だと思っている。毎回弾く曲が全然違って、やってもやっても間に合わない、終わらない、焦る。でもこうして鍛えられているんだと思うとなんとか耐えようとも思う。
イタリアとポーランドはとても寒かった。いや、涼しかった。暑いつもりで行ったらあまりに涼しいので服装が場違いになってしまった。イタリアはやっぱりご飯が美味しかった。ポーランドはやっぱりみんな優しかった。
その後日本に帰って石川で弾いたり、東京芸術劇場で弾いたりした。そのあとフィリピンに行った。フィリピンの食べ物がすごく美味しくてびっくりした。

8月 唐揚げが熱い私

9月
韓国で過ごした前半戦。
二つの無伴奏デュオリサイタルと、ヴィエニアフスキの2番。このデュオリサイタルがこの夏の1番の鬼門だった。無伴奏が得意じゃない上に、色々な曲をやらなければいけないタイミングだったので、焦りまくった。なんとか終わって良かった良かった。
20歳最後の演奏会は奇しくもソウルアーツセンターでのヴィエニアフスキ2番。ドレスは何も考えずに、コンクールのファイナルで着たドレスを偶然着ていました。偶然ってミラクルだね。

9月 焼肉が嬉しい私

すごく長くなっちゃった!
ここまで読んでくれる方なんてほとんどいないと思います。私の自己満足なのであたりまえあたりまえ。
とりあえず、弾いて、出会って、バイバイした1年だった。
これからの一年はどんなふうになるだろう。
ビックバンのその先を突き進みすぎて、もう何も予測できないし、どこまで行くのかもわかりません。
もしかしたら来年の9月には宇宙行ってるかも!結婚してるかも!子供いるかも!

これからの前田妃奈も、どうぞよろしくお願いいたします。

2023/9/8  23時13分
前田妃奈

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