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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月2日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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金の産地「鹿角」の地図を作成

鹿角論山 従御公儀御究、延宝五年六月四日論山絵図=角左衛門殿・喜右衛門殿・五兵衛殿・內蔵允殿・若狭仁右衛門従江戸持下写、

江戸幕府による研究調査のもと、
鹿角(かづの)という山について、
議論がなされました。

その結果、
延宝5年(1677年)6月4日に
江戸幕府の議論に基づいた、
鹿角山の地図が、江戸で作成されました。

下記の5名が、
鹿角山の地図を、江戸から持ち帰りました。

角左衛門殿・喜右衛門殿・五兵衛殿
內蔵允殿・若狭仁右衛門


地図は盛岡城内に保管された

御本紙ハ治太夫印判=て赤前四郎右衛門を以、御納戸今淵半丞・下川原勘右衛門・平殿・出雲殿・摂津殿・山城殿・但馬殿・大和殿・美濃殿御裏書被遊御渡候を、同月廿二日=出石源兵衛・臼井賀弥右衛門・佐久間宇內=渡、淡路丸御蔵へ入置

鹿角山の地図の御本紙(原本)には、
「治太夫」(盛岡藩の役人)の印が押されています。

そして、
「赤前四郎右衛門」を通じて、

今淵半丞(納戸係:収納の管理)
下川原勘右衛門平殿
出雲殿
摂津殿
山城殿
但馬殿
大和殿
美濃殿

の裏書(コメント)を加えて渡されました。

そして、6月22日に
出石源兵衛・臼井賀弥右衛門・佐久間宇內
に渡され、

淡路丸(盛岡城内にある)
の蔵(収納場所)に保管されました。




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