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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月1日】
※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。
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体調不良のためリスケをお願いします by大名
七/朔日 雨一大殿様江戸御発駕之義、御持病気故 御心も不勝思召候付、大久保右京亮様以御老中様へ被仰上候処、土用過雅楽頭様被仰候付て、今月八日·江戸御発足可被遊由、御飛脚αて申来ル、但飛脚同心閏八穗高彦右衛門預弐人昨晚下着迄御逗留苦間敷由、
7月1日 雨 当番:七左衛門
ある大名が江戸を出発して、
盛岡へ来る予定でした。
しかし、持病のため気分が優れず、
出発予定日の変更を伝えるために、
飛脚同心(穂高彦右衛門・他1名)が
深夜に盛岡へ到着しました。
リスケの件は、「大久保 右京亮」様(徳川家康の息子である徳川秀忠に少年の頃から仕えた大久保教隆の子孫。1617年に盛岡の南部利直の元に。)を通じて、老中に報告しました。
「雅楽頭」様(うたのかみ・当時の盛岡藩藩主である南部重信)の指示で、土用が過ぎた、7月8日に江戸を出発することが決まりました。
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若い僧侶を殴り殺した役人
江戸=て小坊主玄好を小ふへかき殺申由、久斉親本堂源左衛門同心弥伝次、久斉兄臼井仁右衛門同心長十郎今日盛岡籠舎申付、
江戸で小坊主の「玄好」を
殴り殺した件についてです。
・「久斉親 本堂源左衛門」
・「臼井仁右衛門同心長十郎」(久斉親の兄)
・「弥伝次」
以上の3人は、殺害の疑いが持たれています。
そのため、
盛岡に籠舎(監禁)されることになりました。
彼らはの役職は同心です。
同心とは、治安維持を担当する下級武士で、主に町奉行所や各藩の奉行所に所属し、町の治安を守るために巡回や捜査、犯罪者の逮捕などの任務を行いました。階級としてはそれほど高くなく、現代で言うところの警察官のような役割を担っている役人です。
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役人の家族も監禁します
但江戸より休斉親又男之兄弟候八、、籠舎可申付由、去月廿三日付之状=甚左衛門・半兵衛方より申来、右之通籠舎申付
この事件を担当している
「甚左衛門」「半兵衛」より、
23日付の書状(公的文章)で
以下が決まりました。
「久斉親」に男兄弟がいる場合、
同じく籠舎(監禁)されることとなる。
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