盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月4日】
※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。
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昨夜の洪水で幕府の材木が流された
朝は晴れていましたが、
巳の刻(午前10時)から曇り、
少し雨が降りました。
中津川(盛岡城の前にある川)の洪水の影響で、一乗石(いちじょういし・盛岡にあった土地名)にある御用木(ごようき・幕府や藩が管理している木)の材木がたくさん流されてしまいました。
そのため、洪水で流されてしまった材木を、川端(川のほとり)で検査を行いたいという訴えがありました。
材木が使えるか検査します
中野(盛岡市)から一乗石(盛岡市)までの区間で、材木の検査を行うために
「鴨沢金右衛門」が派遣されました。
今回の洪水で、御用木の材木が流された
という報告があったため、
北上川両岸での材木検査を行うよう、
両御町の同心(警察・下級武士)である
「西八似内」「東根八小舟渡」に命じました。
盛岡周辺の家が破損し流される
また、数馬関(かずまがせき・道路や橋の新設のに関係する場所)には、「鈴木半七」「高橋九右衛門」を派遣しました。
流木が各所に残っている場合は、
適切に保管するよう指示がありました。
「治太夫」がこの命令を伝えました。
さらに、今回の洪水によって
盛岡周辺で家屋が破損し、
流された家もありましたが、詳細は確認中です。
これらの情報は江戸に書面で報告されました。
災害地に派遣された役人
北上川の材木検査に派遣された
「鴨沢金右衛門」「帷子兵蔵」
数馬関に派遣された
「高橋九右衛門」「鈴木半七」
の4人の昼食は、
各グループに9合ずつの配給を受けました。
また、往来のために1人につき
伝馬(でんま・移動のための馬)を
1匹ずつを貸与しました。