盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月7日】
※写真は、Chat GPT 4oが作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。
____________
洪水から木材を守った人にお礼の品をあげた
延宝5年7月7日は、曇りでした。
今回の洪水で、
御材木(幕府が管理する木材)
が流れ出さないように、
御水主(川や海を利用した運送に従事)
の者が精を出して大分止めた(木材が流されないようにした)ため、褒美として
代物三貫文(現代の価値にすると30〜60万の品物)が与えられた。
60万の品物なら‥
今秋に発売されるAppleのVRと同額だね🫠
でも当時の人たちが喜ぶのは
やっぱり生活必需品なのかな?🍚
みんなだったら何が欲しい?😺
最近、狩りが行われた記録
◎以下は、鳥打ちが行われた
場所・狩をした人の名前を記載しています。
郡山中で「中野新左衛門」
和賀通で「志田又四郎」
◎以下は、鷹打ちが行われた
場所・狩をした人の名前・関係事項を記載しています。
五、六戸中都で細かい網を販売する店の門を作る。この店は、鷹打ちに必要な物を売ってる。
七戸・野部地・田名部で地討(違法な狩をしていないか調べる)
田名部沼山で「中村武左衛門」
江戸時代は、誰が何を買ってるかを
細かく記録しているんだね🤔
現代とあんまり変わらないんだね🥹
米&馬泥棒は有罪?無罪?
鬼柳町(岩手県花巻市)に住む「次郎右衛門」の子である「藤蔵」という者が、米二駄馬二疋(米120kgと馬二匹)を持って他領へ出ようとしました。
しかし、勧音館の西堀切(花巻市)の下を通ったところ、花巻の同心(警察官)に捕まり、御城代(城の副社長)の「四戸金左衛門」様に様子を尋ねられた。
「藤蔵」は、父である「次郎右衛門」と共に、「他領へ向かう途中であった」と申しました。
「次郎右衛門」には150日の籠舎(指定場所で軟禁)を命じられました。
しかし、赦免されるように(藩の条件を満たせば無罪にする)「四戸金左衛門」(城の副社長)から申渡された。
隠密(スパイ)の可能性?!
4月13日に、仙台領の「豊間鈴木 九郎兵衛」という人物が、6人連れで、岩崎村の「千苅田 善助」のところに、鍵と挟箱(たぶん骨が入ってる)を持って訪れた。
仙台領の町小である「更木源左衛門」
と共に訪れた「九郎兵衛」は、
曾祖父の将監塚を善助の田に石塔として立てたいと申した。(善助の田んぼに祖父の墓を立てたい)
しかし、善助は自分の田地に石塔(他人の墓)を立てることはできないと断りました。
断られてしまった「九郎兵衛」は
同村(善助の住む岩崎村)の専徳寺に頼みます。
御寺の中に、将監石塔(墓)を立てたいと住職に伝えました。すると、住職は「どこにでも立ててよい」と許可されたため、阿弥陀堂に石塔(祖父の墓)を立てました、
日も暮れそうだったので、
「九郎兵衛」は「善助」の家に宿泊しました。
ところが、「善助」の住む岩崎村では、
旅人を宿泊させることは禁止されています。
それを知らなかった「善助」は、
検使(役人)に注意されてしまいます。
続けて、検使(役人)はこう続けます。
「善助は、既に旅人を泊めてしまっています。規則違反として、善助の親子は、村を追放します。」
「善助」の田地は入札にかけられ、
田地の売上金は、役人に取り上げられました。
親類が請け取らない場合は
成敗されると四戸金左衛門から申渡された。(親戚が善助親子と一緒に住まなければ、善助親子は、追放だけではなく、処罰もする)
え〜‥善助、可哀想すぎるでしょ😿‼️
いきなり自分の田に他人のお墓を立てたいと言われて、親切で泊めてあげたら地元追放とかww
どうして旅人を宿泊させてはいけないんだろう、って思ったけど、南部藩は南部鉄が有名でタタラバとか鉄を溶かす釜とか、そういうのを外部の人間に見られないように、ってことなのかな?っておもったよ!
そう考えると、「九郎兵衛」は情報を盗みにきた隠密(スパイ)?って思われるのも不思議じゃないよね!「善助」だって隠密の仲間ってことも考えられちゃうし🤔