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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月17日】
十七日 晴天未尅小地震
延宝5年8月17日
晴天でした。
小さな地震がありました。
銅の持ち出しについて
和賀郡水沢銅山=て吹出申銅十歩一指他領へ出申度由、山仕川口町喜兵衛・煤孫村伊兵衛申上候
和賀郡水沢銅山では、
銅の産出量が「十歩一指(約10%)」です。
他領へ持ち出したいとの願いがありました。
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(現在の岩手県和賀郡岩沢)
この件については、
山仕(山仕事に関わる者)である
川口町の「喜兵衛」と
煤孫村の「伊兵衛」が申し出ました。
銅の総量
本銅九千八百壱貫五百目、此小数八百弐拾五枚、内九百八拾貫百五十目、小数八拾九枚、十分一指上、残て八千八百弐拾壱貫三百五十目、小数七百三拾六枚、右八拾歩一指上、他領へ相出候由、花巻御城代より申来候付、黒沢尻改所手形出ス
銅の総量は 9,801貫500目 で、
そのうち小銭用の銅が 825枚です。
このうち 980貫150目、小銭用銅 89枚 は
「十分一指(約10%)」として上納します。
残り 8,821貫350目、小銭用銅 736枚 は
「八拾歩一指(約8%)」として
他領へ持ち出されました。
この件について、
花巻の御城代(代官)から報告があり、
黒沢尻の改所(検問所)で
手形(通行許可証)を発行することになりました。
鷹匠(鷹と雲雀の管理)について
御鷹雲雀大萱生長左衛門・北川三右衛門・戸来又左衛門・岡本孫左衛門・嶋川十兵衛、右之衆被為呼、雲雀壱人=七つ愛波忠右衛門以被下之
御用の鷹や雲雀を管理する者として、
以下の人物が召し出されたました。
・大萱生 長左衛門
・北川 三右衛門
・戸来 又左衛門
・岡本 孫左衛門
・嶋川 十兵衛
また、雲雀 一羽(七歳)を
「愛波忠右衛門」に下付した。(あげた)
仙台領の銅の持ち出しについて
仙台領山ノ目小平次手代庄兵衛、生子吹銅五百貫目指上、於花巻定之通荒銅千貫目遺候、右之荒銅之内五百貫目、此固数四十三固、小数五十五枚、右他領へ出候間改通可申手形、黒沢尻番所へ遣
仙台領の山ノ目(山を管理する人)の
「小平次」の手代(家臣)である「庄兵衛」が、
生子吹銅(精錬前の銅)500貫目 を上納しました。
さらに、花巻(岩手)にて、
荒銅(精錬していない銅)1,000貫目 を預かりました。
この荒銅1,000貫目のうち、
500貫目 が固形 43個
小銭用銅 55枚 で構成されています。
この銅が他領へ運ばれるため、
改めて通行許可証を発行し、
黒沢尻番所へ送付することになりました。