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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月16日】


今後も雇ってくれますか?

十六日 曇辰/刻晴
一秋田領中嶋主鈴召仕之由関藏宗旨禅宗、中村武左衛門召仕之由梶右衛門同宗、近藤六郎兵衛召仕之由八蔵同宗、此三人之者、当七月十日時分=白根御金山へ参、日用取、山師久左衛門召仕罷在候旨、此外同領中柴内市右衛門召仕之るすと申女、七月四日=白根へ参、庄八と申者召仕置候由、彼四人之男女為仕置可申候哉奉得御意由、栃内与兵衛迄御山奉行大須加久兵衛申上、為召仕候=も先例次第可仕由、治太夫・七左衛門、与兵衛-申渡、

盛岡藩雑書 四巻 17〜18P

延宝5年7月16日のことです。

辰の刻(午前7時~9時頃)に曇りました。
後の時刻は、晴れました。

秋田領の下記3人は、
鉱山作業 に従事するために、
「白根御金山」(金の採掘が行われる場所)へ行ったことが記録されています。


労働者「中嶋主鈴」の宗旨(宗派)は、禅宗。
(彼の雇用担当者は、「関藏」さん。)

労働者「中村武左衛門」の宗旨は、同じく禅宗。
(彼の雇用担当者は、「梶右衛門」さん。)

労働者「近藤六郎兵衛」の宗旨は、禅宗。
(彼の雇用担当者は、「八蔵」さん。)


この3名は、7月10日頃に「白根御金山」に行き、労働中に必要な日用品を受け取っています。

山師(鉱山の専門家)の「久左衛門」も、
労働者である身であることを報告されました。

これに加え、
同じ秋田領内に住む「柴内市右衛門」の娘も、
7月4日に「白根金山」へ向かい、
「庄八」という人物の、召使い(労働者)になったとを報告されました。

この男女4人を、正式な召使いにしても良いか、
山奉行(山を管理する役人)の「大須加久兵衛」に、連絡をしました。

その結果、過去の事例に従って処理するよう、
「治太夫」「七左衛門」「与兵衛」の3名に命じられた。彼らが現地で、召使い有無の報告をします。


配布に不公平はありません。

一御鷹野雲雀七つ宛、野々村宇右衛門・桂源左衛門・安村監物・工藤弥九郎・本堂源左衛門・大浦治右衛門、右面々被下之、但呼寄候て相渡
瀬川右市之助右藤二郎代=被仰付、申渡之

盛岡藩雑書 四巻 17〜18P

鷹狩り用の雲雀を、1人あたり7羽ずつ、
以下の6名に分け与えました。

◎鷹狩りには訓練された鷹を使います。
その鷹の訓練や狩りには、餌となる小鳥(雲雀)を必要とします。

「野々村宇右衛門」
「桂源左衛門」
「安村監物」
「工藤弥九郎」
「本堂源左衛門」
「大浦治右衛門」

これらの者たちは、
呼び寄せられて直接手渡されました。

◎配布に不公平が生じないようにするための措置と見られます。

また、この配布に関する命令の伝達は、
「瀬川右市之助」の代理として、
「瀬川藤二郎」が担当しました。

重病になってしまいました。

一江戸御下屋敷 奥様之御番代り瀬川藤二郎被仰付候処、藤二郎義愛元=被差置可被召遣と、江戸御免被成候付、其段=久兵衛=申渡之

江戸の御下屋敷における、
奥様(正妻)の警護(番)の交代役として、
「瀬川藤二郎」が命じられました。

しかし、
「藤二郎」が病気(愛元=病状が重い)であるため、役目を控えさせられ、江戸屋敷への勤務を免除されました。

この件について、「久兵衛」を通じて伝達されました。


鷹の餌の種類

一御鷹之鶉四羽・同よしこい壱羽、合五羽 おしけ様へ被遣、御使石川弥四郎

鷹の餌として、
・鶉(うずら)4羽
・ヨシコイ(鴫〈しぎ〉の一種と思われる)1羽

合計5羽を「おしけ様」に届けた。
この任務は「石川弥四郎」が務めました。


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