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役行者と神通力


江戸初期の兵法家「阿多棒庵」は
修験道の開祖である『役小角』の道統を
継いでおられることはご存じか?

そこで、阿多棒庵のリスペクトすべく
役小角(えんのおづの)について調べてみました。

まず、役小角は男性です。
役行者(えんのぎょうしゃ)とも呼ばれます。

飛鳥時代のひとです。
629〜641年産まれでしょうか。
空海が高野山を開く200年近く前ですね‥!

天智天皇・天武天皇・持統天皇
文武天皇(662〜699年)の時代に
大和葛城を中心として
呪術者(神通力)として世評の高かった人物です。

しかし、「韓国(からのくに)連広足(むらじひろたり)」という後に「典薬頭(てんやくのかみ)」になった人物から、世人を惑わす者として告訴され、伊豆大島に島流しの刑に処されました。

↑仏教説話集の「日本霊異記」では伊豆大島に流された際、昼だけ伊豆におり、夜は海上を飛んで富士山で修行をしたと言われています。の絵


無実とわかって帰国したとされていますが、その後、母を伴って昇天したとも、唐の国へ渡海して行ったとも伝えられています。

各地の山で修行した彼の足跡を慕う者が後を絶たず、修験道として発展しました。

しかしながら、飛鳥時代という昔のことなので、ほとんど資料がないこと、真実を探りうかがうことすら容易ではないでしょう。

役小角の最も信頼できる記録は、今から約1300年前の「続日本紀(じょくにほんき)」にあるのが唯一のものです。

続日本紀の記録をもとにした役小角の伝記が、奈良時代・平安時代・鎌倉時代・江戸時代に残されています。

その中には、絶大な神通力で空を飛んだり、大蛇を退治したり、山の神を岩に縛りつけてしまったり、人を食べる鬼を改心させて従者にしたとも言われています。

ちなみに、役小角を島流しにした「韓国連広足」は韓国という氏から朝鮮から渡来したとみなされがちですが、本来は当時の豪族である物部氏(軍事・警察・裁判をつかさどる)の系類です。先祖が武烈天皇の御代に三韓に使者として派遣され、功績があったので復命の日に韓国性を賜ったとして伝えられています。

ところで、伊豆大島には「役行者窟」という洞窟があるそうです。写真にみえる左側の洞窟がそうです。

そこには役小角自身で掘った石像もあるようです。いいですねぇ‥。残念ながら平成2年に洞窟の一部が崩落してしまい先には進めません。今は立ち入り禁止でした、残念‥。

毎年、6月15日に信者によって行者祭が開かれるようなので、来年あたり行ってみたいですね。


追伸
阿多棒庵のTシャツを作りました。
幸せでござるぞ。

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