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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】



お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、

◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!

大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、

一樽の肴(二樽)
一折の肴

をそれぞれ贈呈されました。

◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】


間違ってるところがあったら
教えてくださインド🇮🇳

儀式について◎大殿様(南部利直・2代当主・盛岡藩の基盤を築いた重要な人物)のための、祈祷の巻数を、
法輪院(仙台市)の住職が数えます。

◎愛宕堂(中尊寺・岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202)で、『仁王経の儀式』を行うように命じられていますので、儀式をしてください。

儀式の後片付けの担当者
「高屋四郎左衛門」は鹿角(秋田)へ行きました

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

※14日は、解読不明

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飛脚からの伝言本日「野田 理右衛門」が、江戸に
登るよう(向かうよう)に命じられました。

ですが、昨夜に江戸を出発して
本日 盛岡に到着した飛脚から

「野田さんが江戸に向かう必要はなくなった」
と言われたので、江戸行きを中止しました。

代わりに、本日の八つ半(午前9時頃)に
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が城に登りました。(江戸城へ向かった

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