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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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#青森

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月18日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月18日】



南部重信の予定延宝5年18日 曇り

殿様(南部重信)は、
東禅寺へ仏参のために向かわれました。

午前8時過ぎに出発し、翌日の午前8時過ぎに帰還された。

南部利幹の予定若殿様(多分 南部利幹)がご不調のため、
永福寺の御新丸にて、
百座の護摩(相当体調悪いかも)
が執り行われました。

この際の御守札は、井門札(井御門札)を
「奥瀬伊左衛門」が持参して奉納しました。

この御守札は、江戸へ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

写真は、Chat GPT で作ってます!

間違えているところがあったら教えてください🪼

南部利直にご祈祷をした話大殿様(南部利直)のために、
御祈祷を行いました。

法輪院の看守である「高橋惣左衛門」が、
札の井巻数(巻数の管理と分配)
を任されました。

このご祈祷は、今月から3ヶ月続けられます。

ご祈祷が終了した際に、「高橋惣左衛門」へ
3貫文(現代の価値にすると3〜6万円)が支払われ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月29〜8月1日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月29〜8月1日】

写真は、Chat GPTで作っています♬

間違えているところがあったら教えてください🪼

7月29日 平和な1日当番:治太夫  晴れ

殿中(主君の居る場所)では特に変わったことはありませんでした。

8月1日 人の手配で忙しい日当番:治太夫  晴天  

若殿様のお出かけに使う、
牛車(6頭の牛が引く車)を、
今朝送り出しました。

花輪から来た同心(警備員)1名、
人足(荷物を運ぶ労働者

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

※16日は、解読不明。

間違っているところがあったら
コメントで教えてください🦏✨

湯殿山(山形県)へお参りをしました。

大勝寺(茨城県)から出発し、大殿様に、お札守りとして、井木札一枚・巻物・扇子二本を箱に入れて、飛脚が届けました。

若殿様にも同じように、『高屋四郎左衛門』の指令により、飛脚が届けました。

この八幡宮の神事は、毎年行われています。

今年も、『佐々木勘右衛門』が、射手

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

※14日は、解読不明

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飛脚からの伝言本日「野田 理右衛門」が、江戸に
登るよう(向かうよう)に命じられました。

ですが、昨夜に江戸を出発して
本日 盛岡に到着した飛脚から

「野田さんが江戸に向かう必要はなくなった」
と言われたので、江戸行きを中止しました。

代わりに、本日の八つ半(午前9時頃)に
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が城に登りました。(江戸城へ向かった

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