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阿多棒庵
2025年2月10日 18:57
南部利幹と重信の予定延宝5年8月20日 晴【御三階の儀について】今日は、永福寺において、護摩祈祷が執り行われました。若殿(南部利幹)の体調が良くなるように。辰の刻(午前8時ごろ)に始まり、申の刻(午後16時ごろ)まで続きました。昼には殿様(南部重信)が永福寺へお出ましになり、(僧侶と)御対面されました。この日記担当者でもある「兵助」と「七左衛門」が参上し、永福寺
2025年2月7日 14:53
雲雀の記録延宝5年8月19日 晴れ鷹狩で獲れた雲雀(ひばり)を下賜された(もらった)記録です。黒沢伝兵衛 さん 7羽四戸金左衛門さん 7羽奥寺八左衛門 さん 7羽高屋四郎左衛門 さん 7羽高橋惣左衛門 さん 7羽南部重信の予定本日、正午頃(午の刻) に栗谷川方面へ鷹狩にお出かけしました。午後16時頃(申の刻) に帰城されました。この日記を書いてる兵助の予定いつもこ
2025年2月5日 18:12
南部重信の予定延宝5年18日 曇り殿様(南部重信)は、東禅寺へ仏参のために向かわれました。午前8時過ぎに出発し、翌日の午前8時過ぎに帰還された。南部利幹の予定若殿様(多分 南部利幹)がご不調のため、永福寺の御新丸にて、百座の護摩(相当体調悪いかも)が執り行われました。この際の御守札は、井門札(井御門札)を「奥瀬伊左衛門」が持参して奉納しました。この御守札は、江戸へ
2025年2月3日 23:20
延宝5年8月17日晴天でした。小さな地震がありました。銅の持ち出しについて和賀郡水沢銅山では、銅の産出量が「十歩一指(約10%)」です。他領へ持ち出したいとの願いがありました。この件については、山仕(山仕事に関わる者)である川口町の「喜兵衛」と煤孫村の「伊兵衛」が申し出ました。銅の総量銅の総量は 9,801貫500目 で、そのうち小銭用の銅が 825枚です。この
2024年12月10日 22:52
今後も雇ってくれますか?延宝5年7月16日のことです。辰の刻(午前7時~9時頃)に曇りました。後の時刻は、晴れました。秋田領の下記3人は、鉱山作業 に従事するために、「白根御金山」(金の採掘が行われる場所)へ行ったことが記録されています。労働者「中嶋主鈴」の宗旨(宗派)は、禅宗。(彼の雇用担当者は、「関藏」さん。)労働者「中村武左衛門」の宗旨は、同じく禅宗。(彼の雇用
2024年11月16日 15:40
南部重信に会いに来た人たち延宝5年8月15日。朝は晴天からの曇り(墨で消された部分)卯の半刻(午前6時頃)に、殿様が御出発されました。辰の上刻(午前8時頃)に、御城に帰還されました。この日は、右両社(神社)へ参拝されました。殿様は御居間で、高知出身の者たちにお目通りされました。また、毛馬内(秋田県 鹿角市)の「文右衛門」と「三右衛門」という父子もお目通りが許されま
2024年11月12日 13:59
延宝5年8月14日 晴天今日は、「大智院」様(現藩主・南部重信の亡き正妻)の命日であるため、代参(多忙な南部重信の代わり)として「野田金太夫」が、聖寿寺に派遣されました。(欠)※以下文は、状態が悪くて解読不可。
2024年11月3日 16:11
お魚と神社延宝5年8月13日。朝から小雨が降りました。辰刻(午前7時頃)からは薄曇りの天気となりました。◎海栗(ウニ)の貝焼きが2つ◎小鯛の焼き物が3枚「兵助」が献上しました。(献上とは 目上の人 多分大殿様にあげること)八戸(青森)から「中里弥次右衛門」が飛脚を通じて、鰹2尾を、献上しました。御日待(祭礼)の祈祷のための御守札が、「亀之助」様、「鶴之助」様、そして母
2024年10月30日 19:19
令和でいうと、激辛の紅鮭寛政12年8月12日。薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。しばらくして晴れた。夜中にまた雨が降りました。毎年恒例の仕事です。鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」が今日の担当者になれ!と命令を受けました。御扶持方(食糧
2024年10月26日 09:02
盛岡藩主・南部重信の厄払い延宝5年8月11日昨夜から大雨が降り続いています。「櫛引八幡宮」の祭礼が、15日に行われます。神酒(おみき)2樽を、八幡三位(僧侶の地位)の僧に託して、送り届けてもらいました。取次役(神事の手配・担当者)は、「高橋惣左衛門」が務めました。大殿様(南部重信1616〜1702)の、厄払いと立願(神仏に願いを立てること)について、永福寺の先達(導師
2024年10月22日 23:11
蔵の管理について御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、今日、「野辺地井右衛門」を通じて殿様に報告します。しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、老中(高位の役人)に伝えてください。老中が殿に話しておきます。ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。雲雀は鷹の餌昨日、武士や高位の役人たちに、雲雀を送りました。贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が無事に、直接彼らに届
2024年10月19日 15:47
鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。鉛200貫目
2024年10月13日 16:44
お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、一樽の肴(二樽)一折の肴をそれぞれ贈呈されました。◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼ
2024年10月10日 21:22
鹿角の境界線鹿角(秋田県)で、論山(領土の境界を定める山)の塚(境界を示すための塚)の工事が完了しました。監督者である「出石源兵衛」と「臼井仁右衛門」が、昨日、鹿角から帰ってきて、今日、上役にその完了を報告しました。高価な献上品「御鶴(おんつる)」「御児鶴(おこづる)」という特別な鶴2羽を、「兵助」が拝領(目上のひとから受けとること)しました。そのお礼として、「右近」が