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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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#盛岡

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月17日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月17日】



延宝5年8月17日
晴天でした。
小さな地震がありました。

銅の持ち出しについて和賀郡水沢銅山では、
銅の産出量が「十歩一指(約10%)」です。
他領へ持ち出したいとの願いがありました。

この件については、
山仕(山仕事に関わる者)である
川口町の「喜兵衛」と
煤孫村の「伊兵衛」が申し出ました。

銅の総量銅の総量は 9,801貫500目 で、
そのうち小銭用の銅が 825枚です。

この

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】



令和でいうと、激辛の紅鮭
寛政12年8月12日。

薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。
しばらくして晴れた。
夜中にまた雨が降りました。

毎年恒例の仕事です。
鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。

小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」
が今日の担当者になれ!と命令を受けました。

御扶持方(食糧

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】



鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇

和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。

◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。

鉛200貫目

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月3日〜6日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月3日〜6日】



8月3日 南部利幹の馬の交代延宝5年8月3日 晴れ

大殿様(南部利幹)は、
先月の7月25日に江戸を出発され、
腰谷(調べたけど分からない)に、
泊まられたとのことです。

この情報は、今朝、
飛脚(速達の使者)によって届きました。

そして、大殿様(南部利幹)が
盛岡に到着するのは、
8月7日頃だと伝えられています。  

今日、花巻(岩手)の同心(警察)に命じて、
大殿様(南部利直)のご

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

写真は、Chat GPT で作ってます!

間違えているところがあったら教えてください🪼

南部利直にご祈祷をした話大殿様(南部利直)のために、
御祈祷を行いました。

法輪院の看守である「高橋惣左衛門」が、
札の井巻数(巻数の管理と分配)
を任されました。

このご祈祷は、今月から3ヶ月続けられます。

ご祈祷が終了した際に、「高橋惣左衛門」へ
3貫文(現代の価値にすると3〜6万円)が支払われ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月28日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月28日】

写真は、Chta GPTだよ!

間違っているところがあったら教えて下さい☺️

米を管理するひと延宝5年7月28日 当番:治太夫

朝は、曇りでした。
巳の刻(午前10時頃)に雨が降り、
午後には晴れました。

「野辺小右衛門」と「金田一八郎左衛門」は、
一石(米の単位で、約180リットル)
に関する巻物を、管理する役人です。

彼らは、昨夜 盛岡に帰宅しました。

そして、今日 盛岡城にて、業

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月26〜27日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月26〜27日】

※写真は、Chat GPTで作ってるよ!

※26日は、解読不可。

間違っているところがあったら教えて下さい🤍

徳川家とは仲良く寛政12年7月27日

鹿角の杉材を、仙台領石巻に送る件について。

担当者は「富田屋惣左衛門」です。

以下の内容を、筏(いかだ)の上に乗せた。

ひと山で計2,276本
長さは3尺から6尺(約90〜180cm)
幅は7寸から1尺(約21〜30cm)
厚さは5寸か

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月25日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月25日】

間違っているところがあったら
教えてください🐰💖

写真は、Chat GPT!!

帰ってきた勘兵衛寛政12年7月25日。

虎の刻から雨が降りました。
午刻には晴れました。

6月29日に、山田屋の「勘兵衛」の使用人が、
持ち出し禁止の【酒粕・蝋】を、許可なく勝手に持ち帰った事件を覚えていますか?🪵

以下リンクが、その日記です。

【蝋と酒粕】は、他領へ持ち出すことが禁じられています。

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月21〜24日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月21〜24日】

間違っているところがあったら教えて下さい🥰

※写真は、Chat GPT が作っているよ!

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延宝5年7月21日

大奥は厳しい女の世界「上関作之丞」
「工藤半之丞」
「遠藤喜右衛門」
の3人は、江戸奥樣御役人です。

(江戸の奥様の付き人という意味です。この「奥様」とは、江戸城内の女性たちの住まい(大奥)だと思います。)

「山根平四郎」
「川村右平次」
「瀬川藤二郎」は

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月20日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月20日】

間違っているところがあれば
教えてください😌

※写真は、Chat GPT が作っています。

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鹿角(秋田)の杉材を、仙台領石巻に送る件
◎一山(集めた量)は、下記サイズの杉材です。

千八百丁(19.980〜25.020kg)
長さ、三尺から六尺(90.9〜181.8cm)
幅、七寸から一尺(21.2〜30.3cm)
厚さ、五寸から八寸(15.15〜24.24cm)

◎鹿

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】


間違ってるところがあったら
教えてくださインド🇮🇳

儀式について◎大殿様(南部利直・2代当主・盛岡藩の基盤を築いた重要な人物)のための、祈祷の巻数を、
法輪院(仙台市)の住職が数えます。

◎愛宕堂(中尊寺・岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202)で、『仁王経の儀式』を行うように命じられていますので、儀式をしてください。

儀式の後片付けの担当者
「高屋四郎左衛門」は鹿角(秋田)へ行きました

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月18日】〜江戸時代の高齢出産?!生きるために逃げた女性の人生

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月18日】〜江戸時代の高齢出産?!生きるために逃げた女性の人生

もし間違えてるところがあったら
コメント欄で教えてください🦑🫶🏻💗

※写真は、Chat GPT で作ってるよ。

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江戸時代の高齢出産?!
生きるために逃げた女性の人生

『場山 五左衛門』の家で働く、
中間(使用人)の『小六』という女性が、
16日間も行方不明になっています。

年齢は、40歳前後で、
お腹が大きく見えることから
妊娠している可能性があります。

同僚の

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

※16日は、解読不明。

間違っているところがあったら
コメントで教えてください🦏✨

湯殿山(山形県)へお参りをしました。

大勝寺(茨城県)から出発し、大殿様に、お札守りとして、井木札一枚・巻物・扇子二本を箱に入れて、飛脚が届けました。

若殿様にも同じように、『高屋四郎左衛門』の指令により、飛脚が届けました。

この八幡宮の神事は、毎年行われています。

今年も、『佐々木勘右衛門』が、射手

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

※14日は、解読不明

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飛脚からの伝言本日「野田 理右衛門」が、江戸に
登るよう(向かうよう)に命じられました。

ですが、昨夜に江戸を出発して
本日 盛岡に到着した飛脚から

「野田さんが江戸に向かう必要はなくなった」
と言われたので、江戸行きを中止しました。

代わりに、本日の八つ半(午前9時頃)に
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が城に登りました。(江戸城へ向かった

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