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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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#遠野

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

※14日は、解読不明

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飛脚からの伝言本日「野田 理右衛門」が、江戸に
登るよう(向かうよう)に命じられました。

ですが、昨夜に江戸を出発して
本日 盛岡に到着した飛脚から

「野田さんが江戸に向かう必要はなくなった」
と言われたので、江戸行きを中止しました。

代わりに、本日の八つ半(午前9時頃)に
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が城に登りました。(江戸城へ向かった

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月13日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月13日】

※写真は、Chat GPT 4o が作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。

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🇯🇵今日の役人の仕事内容
先日の洪水で、城下町の各所が破損しました。

北上川の担当は、以下です。

・膳奉行(食事の担当者)
「安村監物」「西川小左衛門」

・下奉行(地方行政&司法の担当者)
「黒沢新丞」「中山茂太夫」「太田伊助」

中津川の担当は以下です。

・膳奉行(食事の担当者

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月3日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月3日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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大雨で橋が流される
3日間、雨が降り続きました。

洪水で中津川の2つの橋が流されました。

一昨日の朝から大雨が降り、洪水となりました。

中津川では、中の橋と下の橋が流されましたが、上の橋は残りました。

流された中津川の下の橋は、
6月11日に直したばかりでした。