マガジンのカバー画像

盛岡藩雑書 四巻

54
延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
運営しているクリエイター

2024年11月の記事一覧

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月15日】



南部重信に会いに来た人たち延宝5年8月15日。朝は晴天からの曇り

(墨で消された部分)

卯の半刻(午前6時頃)に、
殿様が御出発されました。

辰の上刻(午前8時頃)に、
御城に帰還されました。

この日は、右両社(神社)へ参拝されました。

殿様は御居間で、
高知出身の者たちにお目通りされました。

また、毛馬内(秋田県 鹿角市)の「文右衛門」と「三右衛門」という父子もお目通りが許されま

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月14日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月14日】

延宝5年8月14日 晴天

今日は、「大智院」様(現藩主・南部重信の亡き正妻)の命日であるため、代参(多忙な南部重信の代わり)として「野田金太夫」が、聖寿寺に派遣されました。

(欠)
※以下文は、状態が悪くて解読不可。

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月13日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月13日】



お魚と神社延宝5年8月13日。

朝から小雨が降りました。辰刻(午前7時頃)からは薄曇りの天気となりました。

◎海栗(ウニ)の貝焼きが2つ
◎小鯛の焼き物が3枚
「兵助」が献上しました。
(献上とは 目上の人 多分大殿様にあげること)

八戸(青森)から「中里弥次右衛門」が
飛脚を通じて、鰹2尾を、献上しました。

御日待(祭礼)の祈祷のための御守札が、
「亀之助」様、「鶴之助」様、そして母

もっとみる