マガジンのカバー画像

盛岡藩雑書 四巻

54
延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
運営しているクリエイター

2024年7月の記事一覧

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月21〜24日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月21〜24日】

間違っているところがあったら教えて下さい🥰

※写真は、Chat GPT が作っているよ!

_________

延宝5年7月21日

大奥は厳しい女の世界「上関作之丞」
「工藤半之丞」
「遠藤喜右衛門」
の3人は、江戸奥樣御役人です。

(江戸の奥様の付き人という意味です。この「奥様」とは、江戸城内の女性たちの住まい(大奥)だと思います。)

「山根平四郎」
「川村右平次」
「瀬川藤二郎」は

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月20日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月20日】

間違っているところがあれば
教えてください😌

※写真は、Chat GPT が作っています。

________

鹿角(秋田)の杉材を、仙台領石巻に送る件
◎一山(集めた量)は、下記サイズの杉材です。

千八百丁(19.980〜25.020kg)
長さ、三尺から六尺(90.9〜181.8cm)
幅、七寸から一尺(21.2〜30.3cm)
厚さ、五寸から八寸(15.15〜24.24cm)

◎鹿

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月19日】


間違ってるところがあったら
教えてくださインド🇮🇳

儀式について◎大殿様(南部利直・2代当主・盛岡藩の基盤を築いた重要な人物)のための、祈祷の巻数を、
法輪院(仙台市)の住職が数えます。

◎愛宕堂(中尊寺・岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202)で、『仁王経の儀式』を行うように命じられていますので、儀式をしてください。

儀式の後片付けの担当者
「高屋四郎左衛門」は鹿角(秋田)へ行きました

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月18日】〜江戸時代の高齢出産?!生きるために逃げた女性の人生

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月18日】〜江戸時代の高齢出産?!生きるために逃げた女性の人生

もし間違えてるところがあったら
コメント欄で教えてください🦑🫶🏻💗

※写真は、Chat GPT で作ってるよ。

_______

江戸時代の高齢出産?!
生きるために逃げた女性の人生

『場山 五左衛門』の家で働く、
中間(使用人)の『小六』という女性が、
16日間も行方不明になっています。

年齢は、40歳前後で、
お腹が大きく見えることから
妊娠している可能性があります。

同僚の

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月16〜17日】

※16日は、解読不明。

間違っているところがあったら
コメントで教えてください🦏✨

湯殿山(山形県)へお参りをしました。

大勝寺(茨城県)から出発し、大殿様に、お札守りとして、井木札一枚・巻物・扇子二本を箱に入れて、飛脚が届けました。

若殿様にも同じように、『高屋四郎左衛門』の指令により、飛脚が届けました。

この八幡宮の神事は、毎年行われています。

今年も、『佐々木勘右衛門』が、射手

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月14〜15日】

※14日は、解読不明

____________

飛脚からの伝言本日「野田 理右衛門」が、江戸に
登るよう(向かうよう)に命じられました。

ですが、昨夜に江戸を出発して
本日 盛岡に到着した飛脚から

「野田さんが江戸に向かう必要はなくなった」
と言われたので、江戸行きを中止しました。

代わりに、本日の八つ半(午前9時頃)に
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が城に登りました。(江戸城へ向かった

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月13日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月13日】

※写真は、Chat GPT 4o が作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。

___________

🇯🇵今日の役人の仕事内容
先日の洪水で、城下町の各所が破損しました。

北上川の担当は、以下です。

・膳奉行(食事の担当者)
「安村監物」「西川小左衛門」

・下奉行(地方行政&司法の担当者)
「黒沢新丞」「中山茂太夫」「太田伊助」

中津川の担当は以下です。

・膳奉行(食事の担当者

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月12日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月12日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

_________

🎆お盆のお祭りは中止だよ毎年、お盆の時期に恒例の、踊りや花火、相撲などのお祭りを中止するように、「高橋惣左衛門」から指示がありました。

🐟鰹節の売買について説明するよ南閉伊の大槌浦の当領(現在の岩手県 大槌町)から、船一艘・水夫・船頭を合わせて、10人を盛岡へ派遣しました。

常陸国銚子浦

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月9〜11日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月9〜11日】

※写真は、Chat GGT 4oが作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。
※延宝5年7月9日〜10日は、解読不可。

____________

生類憐みの令まであと3年延宝5年7月11日の朝は曇りでした。
巳の刻(10〜12時)には晴天。

7月15日に、六戸(青森)と花巻(岩手)へ
鷹を送り届けるため、江戸から「野田金太夫」にその任務が下されました。

花巻(岩手)には、
15羽の鷹が配属

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月8日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月8日】

※写真は、Chat GPT 4oが作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。

____________

お千代様が亡くなりましたお千代様は、長い間病気でいらっしゃいましたが、今日の午前10時頃に亡くなりました。

お千代様は、重要な人物であり、その死は公に報告されるべきものであったことが分かります。

銅の取引と出荷立石(盛岡)の銅の純重量(不純物を取り除いた銅)は、2,419貫900目(9,

もっとみる