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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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2024年6月の記事一覧

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月7日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月7日】

※写真は、Chat GPT 4oが作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。

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洪水から木材を守った人にお礼の品をあげた延宝5年7月7日は、曇りでした。

今回の洪水で、
御材木(幕府が管理する木材)
が流れ出さないように、

御水主(川や海を利用した運送に従事)
の者が精を出して大分止めた(木材が流されないようにした)ため、褒美として
代物三貫文(現代の価値にすると3

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月6日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月6日】

※写真は、Chat GPT 4oが作ってるよ。
※江戸時代の暦で書いてるよ。

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八弥様は生理によるPMS延宝5年7月6日 曇り。

昼に雨が降り、
霽玄(せいげん・正午12時)
の時刻に大雨となる。

八弥様は今月に月経(生理)があり、
その上、ご機嫌があまり良くないので、
今月の8日より、
二夜三日供養の法要を行うようにとのことです。

※二夜三日供養の法要とは、

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月5日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月5日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年7月5日 晴 当番:七左衛門、兵助

復興工事の影響で、今年から税金を上げます田名部小沢の内(岩手県)にある
松ヶ崎と新塩釜で、
1件の工事を望む旨の要望がありました。

松ヶ崎と新塩釜は、
田畑・鳥の保護区・鷹の巣がない場所
であると、

代官の「波岡与三右衛門」が
申し上げまし

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月4日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月4日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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昨夜の洪水で幕府の材木が流された朝は晴れていましたが、
巳の刻(午前10時)から曇り、
少し雨が降りました。

中津川(盛岡城の前にある川)の洪水の影響で、一乗石(いちじょういし・盛岡にあった土地名)にある御用木(ごようき・幕府や藩が管理している木)の材木がたくさん流されてしまいました。

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月3日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月3日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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大雨で橋が流される
3日間、雨が降り続きました。

洪水で中津川の2つの橋が流されました。

一昨日の朝から大雨が降り、洪水となりました。

中津川では、中の橋と下の橋が流されましたが、上の橋は残りました。

流された中津川の下の橋は、
6月11日に直したばかりでした。

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月2日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月2日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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金の産地「鹿角」の地図を作成江戸幕府による研究調査のもと、
鹿角(かづの)という山について、
議論がなされました。

その結果、
延宝5年(1677年)6月4日に
江戸幕府の議論に基づいた、
鹿角山の地図が、江戸で作成されました。

下記の5名が、
鹿角山の地図を、江戸から持ち帰りました。

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月1日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月1日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

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体調不良のためリスケをお願いします by大名7月1日 雨 当番:七左衛門

ある大名が江戸を出発して、
盛岡へ来る予定でした。

しかし、持病のため気分が優れず、
出発予定日の変更を伝えるために、
飛脚同心(穂高彦右衛門・他1名)が
深夜に盛岡へ到着しました。

リスケの件は、「大久保 右京亮

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月30日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月30日】

※写真は、Chat GPT 4oが作ってます。
※江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年6月30日

村に市役所を建設塩釜の一部である脇野沢村内の「ぬいどうか沢」(青森)という場所に、新しい役所が建ちました。

その役所は、年に一度、
村人から役金(税金)として、
三匁(価値は、現代の日本円で¥5.000〜15.000くらい)を徴収することが決まっています。

この役所の運営は、村の

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月29日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月29日】

※写真は、Chat GPT4oが作っています。

※江戸時代の暦で書いてます。

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寛政5年6月29日

勘兵衛の使用人が罪を犯した山田屋の「勘兵衛」が
運上(税金)を納めるために申請しました。

材木を、川下(川を下った他の領地)に運び出したところ、「勘兵衛」の手代(使用人)が、御法度(禁止されているもの)である、蠟と酒粕を、筏(いかだ、船)に積んでいました。

勘兵衛は京

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月28日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月28日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。

※江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年6月28日 曇
当番:兵助・治太夫・七左衛門

米泥棒を捕まえろ(欠落人逮捕者二褒美=欠落人というのは「脱走者」という意味です。江戸時代では、農民や下級武士などが逃亡した場合のことを指します。まとめると、脱走者を捕まえた者には褒美をあげる、という意味です。今回の事件は米泥棒です

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月27日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月27日】

※画像は、Chat GPT 4oが作っています。

※江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年6月27日 雨 当番:治太夫

愛宕堂ニテ仁王経執行(愛宕堂で仁王経を唱える儀式を行うという意味です。)

於愛宕堂御初尾三貫文被遣
愛宕堂(「あたごとう」と読みます。火の神である火産霊命(ほむすびのみこと)を祀っており、火事や災害から守ってくれる神として信仰されています。)に初めての

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月24〜26日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月24〜26日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。
※江戸時代の暦で書いてます。

※24〜25日は、解読不可。

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廿六日 晴未ノ刻少地震
延宝5年6月26日 晴れ 担当:兵助
午後14時頃に小さな地震がありました。

材木奉行
御材木奉行辻吉左衛門相果候付、為代平館重右衛門申付之
材木奉行(材木を管理する担当の役人のこと)の「辻吉左衛門」が亡くなったため、「平館重右衛門」が新

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月23日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月23日】

※当時の写真は、Chat GPT 4oが作っています。

※現代ではなく江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年6月23日 小雨 当番:治太夫

桂泉の参礼
桂泉御祭礼就如例年之、
桂泉の御祭礼は例年通りに行い、

御巻数井=見世役銭壱貫文別当上ル、
巻数井見世(特定の行事や場所に関連した、役割や施設の名称。多分「高屋四郎左衛門」がその運営や管理をしていたのでしょう。)

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月22日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月22日】

※当時の写真は、Chat GPT 4oが作っています。

※江戸時代の暦(太陰太陽暦)で書いてます。

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延宝5年6月22日 雨 当番:兵助

湯殿山からの進物

(進物とは、宗教的な行事、重要や正式な場面などにおいて、感謝を込めて贈る品物のこと)

明王院・東福寺に所属する、
弟子教智坊(僧侶が住む建物の関係者)と
長福寺の僧侶が同席しました。

以下は
大日坊と重蓮寺か

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