留学3年目でもう一度考える、「言語の壁」
留学を3年もしている人(しかも英語非ネイティブ圏二カ国)が持たれるイメージは、だいたい
もうどこで生活しても何不自由なくコミュニケーションが取れていそう
だと思う。これは、半分正解で半分不正解。
スウェーデンで2年、チェコに2ヶ月住んでみて、私の英語力は格段に良くなったと自分でも思う。
そりゃ日本というコンフォートの極みみたいな場所を離れて、初めは留学できるギリギリラインの英語力しか持ち合わせていなかったんだから成長しない方がおかしい。
英語で夢を見てももう少しも驚かなくなったし、仕事でも学校でも自由に話したいことを表現できるまでになった。
もちろんこの新しいコンフォートゾーンに足を踏み入れるまで痛い思いを何度もしたけど。
ドライブマイカーをチェコで観ると
最近日本でも話題のドライブマイカー、なんとチェコの映画館でも観れました。映画館でやっている映画のうちの二つが日本の映画だなんて、私はとっても誇らしい気持ちになった。
ちなみにやっていたもう一つの映画は竜とそばかすの姫。
日本語音声でチェコ語字幕で観るのは絶対に問題なく理解できると思っていた。なぜなら私はネイティブ日本語スピーカーだから。
でも実際にはそうじゃなかった。
映画の中では多言語演劇という、登場人物の会話がそれぞれ違う言語で進んでいくというのが出てきた。
もちろん私は中国語や韓国語はわからない。でも字幕はチェコ語。
結構大事なシーンが日本語じゃなかったから、全部は理解できなくてちょっと悲しかった。でもそれもチェコでこの映画を観るという思い出の大事なピースになったと思う。
私はこの映画がとても好きだ。映像も綺麗だし、言葉も感情も全部美しいと思った。1日の8分の1を費やす価値は大いにある。
同じ国の人が集まると絶対英語話してくれない問題
もうこれは今まで数えきれないほど経験してきた。
留学あるあるなんだけど、英語圏以外の同じ国の人が集まってそれが集団の大多数になると、気づいたら言語が英語から他の言語に変わって会話に入れなくなるという現象。
私はこれが本当に嫌いなんだけど、そうなってしまったときはもう仕方ないからひたすら待つことにしている。大抵彼らは母語が話せてホッとしているあまり大したことを話しているだけだから。
「人にされて嫌なことは自分は人にはしない」
典型的な日本人が持つ孔子マインドを私も持っている。
だから留学中に日本人数人、その他数人の状況に出くわしたら積極的に英語を話すようにしている。どうしても日本語でこそっと話したほうが話が早いときとかを除いて。
この問題は絶対に解決しないと思うし、もうそういうものだと思って過ごして行くしかないのだと思う。
私はスウェーデン語もチェコ語も住む場所の現地語なのにもかかわらず真面目に勉強したことが一度もない。現地語の会話に入れないのはある意味では自業自得なのかもしれない。
「わかる」ために最近辞めたこと
言葉も違う、文化も違う、そんなところでなんの話をしているのかわからないことはいまでも良くある。
以前の私なら
愛想笑いをして、
わかるふりをして、
その場をやり過ごしていた。
でも今はそれを辞めた。わからないものはわからない、面白さがわからないものは正直につまらないと言えるようになったし、
特に仲のいい人といるときは自分に正直でいられるようになった。
そしたら前よりホームシックになることも少なくなった。
最近日本の恋しいものといったら日本食くらい。あとお菓子。
帰国したら死ぬほど食べればいいか!
まあ、そんな感じで、違いが多い環境であれ、それなりに楽しんでます。
これからもきっと、いくら言語能力を磨いても”違い”はなくならない。
だからこそ、それを楽しみながら過ごしていける方法を見つけられたのはとても嬉しいことだった。
またね!!!
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😝