過ぎゆく日々
12月も三分の一が終わってしまった。彩られたイルミネーションを見てクリスマスが近いことに気がつく。この一年があまりに早すぎて、ただ目の前のことを追いかけていただけだったような気がする。
私は何かを残すことができたのだろうか。
ここ何年かは特に時の流れが早いように感じる。振り返ってみると小学生の6年間は本当に長かった。あのころはやたらと合う人同士でグループを作りたがる年頃だったのか、クラスの中にいくつか友達グループが出来上がっていたが、正直どのグループも好きではなかった。だからといって一人ぼっちになるのもイヤで、あるグループの中にこっそりまぎれていた。そんな学校に行くのが嫌だった。そのせいもあり早く卒業したかったし、とにかく大人になったらもっと自由になり強くなれるのではないかと子供心ながら夢を持っていた。
一年は、自分の人生の「生きた年数」分の1
歳を重ねるごとに1年という時間の重みはどんどん小さくなっていくのだという。これをジャネーの法則というらしい。法則という理科や数学のような名称がついているけれど、要するに人生の収束に向かう速さが加速していくということなんだと思う。子供の頃に大人になりたいといった私が「今の私」を見たらどう思うのだろう。それでも大人になりたいというのだろうか。
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今の部署に異動になって約3年になる。前と比べると通勤時間が約1.5倍ほど伸びた。1年の長さは短く感じるのに1日の通勤時間が長くなるという矛盾が起きている。
繁忙期になると、家に帰りひどい時はただ洋服を脱ぎ捨てそのままベッドに倒れ込む。そして薄れていく意識の中で彼のことを思い出す。もし隣にいたら無気力の私を無理やり起こし「とにかくシャワーだけでも浴びてこいよ」と呆れながらいうだろう。そんな妄想をしながら短く浅い眠りにつく。この時だけがいろいろな呪縛から解かれた瞬間なのだと思う。そして朝起きて慌ててシャワーを浴び、髪も半乾きで家を出る。「何のために家に帰ったのだろう」と心で文句を言いながらも自宅のベッドで寝たいと思うのが不思議だ。
このまま起きないままでいたらどうなるのか試してみたい思うことがある。上司や同僚から「どうした」と電話がかかってくるのだろうか。心配するだろうか。それとも怒るだろうか。そんなくだらない想像をしながらも、結局は起きて電車に乗ってしまう。
始発というわけではないけれど早い電車に乗っている。もう少し遅い電車でも間に合うが、混雑した電車の中でどこかの誰かと密着し息ができない空間の中に身体を置くことはただ恐怖でしかない。
一番後ろの車両に乗る。そこにはいつもの見慣れた人たちが寝ていたり本を読んだりスマホを触っている。挨拶するわけでもなく言葉を交わすこともなく誰もが自分の世界の中にいる。最初は不気味に感じていたが今では同志のように感じていた。もしかすると私とここにいる人は一緒なのかもしれないと思う。目の前の慌ただしさに溺れ何かから取り残されているように感じ、いたずらに時だけが過ぎていく恐怖を感じている。一度も話したこともなければどんな暮らしをしているかもわからない。知っているのは私より前に電車から降りるか降りないかだけ。
この一年はこんなふうに過ぎたのではないかと思う。それでも正直この生活はは嫌いではない。疲労していることで負の感情を押さえこむことができるからかもしれない。けれど、心のどこかで何かが違うと思っている私がいる。ただもやもやとした闇のようなものが渦巻いているだけ。
そんな複雑な思いを感じながらも書くことを始めた。それはあふれる感情を表現するためではなく、もうひとりの理想の私を作りたかったのかもしれない。けれど、最近はそんな思いに少し息切れをしている。私は何者かになりたいわけではなく、普通に楽しみ、普通に喜び、普通に感動する。そんな毎日を過ごしたいだけなのだ。
そんなことを考えている間にも時が過ぎていく。もう少し心の声を聞こうと思う。そして色々と感じる日々を過ごしたい。
まだ間に合うだろうか。
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TOP画像はmsy.さんに描いていただきました。12月はモニターとしてコラボさせていただいています。